セピア色の夏・1



 ***


 何を理由にしたお祭りだったか忘れたけれど、とにかく今日はお祭りなんだと漏れ聞いた。今日は久しぶりの休日。蹴散らした魔族が戻ってくるまで少し時間があるだろう、だからきっと大丈夫。
 リュートは迷った挙げ句、クラーリィを誘ってこっそりお祭りに顔を出すことにした。

「王子」
「うん?」
 少し前の方を歩くクラーリィ少年がふと立ち止まった。リュートの方を振り返り、僅かに首を傾げてみせる。
「その、怪我とか。大丈夫、なんですか」
「え? 僕? ……平気だよ。今回はかすり傷くらいで済んだから。別に今しなくちゃいけないことも特にないし」
「そ、そっか、良かったです」
 えへへ、とクラーリィが笑う。どうやらリュートが無理して自分を連れ出したのではないかと心配していたようだ。
 リュートはクラーリィの方へ近寄った。ざくざくと柔らかい土を踏みしめる。ぼんやり漂ってくる土の香りが何とも懐かしかった。戦場の土は数多の足で踏み固められていて、こんな感触は味わえない。この原始的な香りを堪能している暇もない。
 リュートの重みを受け、足下の湿気った落ち葉がぐにゃりと歪む。
「クラーリィって、こういうところ好きだよね」
 木々のある他は閑散としているだけの、ただ広い公園の一角。舗装もされていない小道の先、少しだけ開けた場所に二人分くらいのベンチがぽつんと置いてある。まだ日没まで時間があるし、日没にならないとお祭りは始まらない。お祭りが始まるまでどう過ごそうかと二人で頭を付き合わせて、出した結論は今回も「いつもの場所で時間を潰す」だった。
「静かで落ち着けるし、それに……」
「それに?」
 クラーリィは返事代わりにリュートの服の裾をぎゅっと握り締めてきた。体を寄せ、重心をリュートの方へ傾ける。それきり黙ったままだったので、リュートも黙ってクラーリィの頭を撫でた。
 たぶん彼は「王子を占領できるから」とか言いたかったに違いない。あの場所はなかなかの穴場で、他人とばったり出会ったためしがない。素早く流れる日々の内のほんの少しだけ、貴重な二人ぼっちの時間。でも、それを望むことはとてもわがままなことだと知っているから、クラーリィは絶対にそんな時間が欲しいと口にはしない。
 静かに木々が鳴いた。行こっか、とリュートが囁きかける。クラーリィは黙って頷いて、裾を握ったままとことこ歩き出した。

「今日のお祭りさ、なんかいろいろ屋台が出るらしいよ。水飴とか、ヨーヨーとか。クラーリィやったことある?」
「少しだけ、あります」
「僕も。少しだけ」
 クラーリィが不思議そうな顔をした。純粋な「なぜ?」と問いかける瞳がじっとリュートを見つめている。
 昔々、まだリュートがクラーリィかそれ以上に小さかった頃、一度だけ父に連れられて縁日に来たことがある。王配殿下と王子という身分故、楽しむのもそこそこに立ち去らねばならなかったが、そもそも遊ぶことの少ないリュートの心にあの日の思い出は鮮やかに焼き付いている。
 だからたぶん、今日もあの日と同じくらい鮮明に記憶に残るのだと思う。
「だから今日は楽しみでね。僕取り敢えず綿飴買わなくちゃ」
 半分こしようね、とリュートは言った。クラーリィは服の裾を掴んだまま、うんと力強く頷く。リュートが微笑みかけるとクラーリィも笑った。二人は連れだって公園の隅へと消えていく。

 夕陽が綺麗だった。徐々に赤みを増してきた太陽が、木々のすき間から強い光を届けてくる。光の暖かみはさほど感じないのに、色が強烈な暖かみを感じさせる。ようやく忘れかけた真夏を思わせるような強い色。ここのところ日没を過ぎればやや肌寒い日が続いているが、この光景の中にいる限りそういった肌寒さには縁がないように思われた。
 じわりじわりと空を浸食していく夕陽を見て、今日は星が綺麗かもね、とリュートは言う。
「花火もやるとか言ってたけど、この調子じゃ完璧に見られそうだなあ。風も弱いし。ね、クラーリィ」
「はい」
 たのしみです、と小さい彼が付け足した。
「僕も楽しみ。花火って、意外とあんまり見たことなくてね」
 火花ならたくさんあるけど、とリュートは独りごちる。美しさの微塵もない戦火から遠く離れてこんな景色を眺めていると、急速にあの地の現実味が失われていくような気がする。同じ炎であるはずなのに、どうしてああも違う印象を抱くのだろう。
 リュートがぼんやりしているのを心配してか、クラーリィが顔を覗き込んできた。この状況下で明日から戻って来るであろう現実を忘れても、少し羽目を外しても、たぶん誰も怒らないだろう。
 除く、リュートが羽目を外すことで確実に迷惑を被るであろうクラーリィ。

「王子?」
「ついたついた。ほら、座りなクラーリィ」
 よいしょと腰掛けるクラーリィを見ながら、今日くらいは我慢しよう、とリュートは自分に言い聞かせた。クラーリィは変なところで大人じみていて、たまに強烈に素の自分をさらけ出してしまいたい誘惑に駆られる。いつも尊敬しているそぶりを見せて、今だって「王子、王子」と慕ってくるのに、なぜか自分を聖人だとか魔人だとかいう視点では見ていないようで、あくまでも年上の物知りの兄として尊敬している「だけ」のようだ。どんなにすごい魔法を見せたところで、なぜか彼は驚き喜びはするものの恐れたりしない。それが子供故の無知からくるものなのか、単純にクラーリィの性格なのか、それはリュートには分からない。
 ただ、これだけは言える。ひたすらにリュートの力を恐れて慕ってくる誰よりも、クラーリィと一緒に居た方が気が楽だ。クラーリィはリュートが目の前で何かを失敗したって「信じられない」という顔はしないのだから。
「王子は?」
 座らないの、と少年は首を傾げる。ふっと笑ってリュートは腰を下ろした。今日くらいは立派に「お兄ちゃん」のままでいよう。リュートの胸に焼き付くあの日の縁日の思い出が、やがて大人になったクラーリィの胸に同じように焼き付くといい。セピア色に染まった笑顔はなかなかに良いものだ。
 ……それがもう二度と手に入れられないものであるからこそ、思い出とは強く美しいものだ。

 リュートは懐中時計を取りだした。装飾の為された細い針は日没予定の一刻ほどまえを指している。お祭りが始まるまでもう少し時間があるようだ。
 なにやら金色に輝く物体に興味を覚えたのか、クラーリィがぬっと首を伸ばしてリュートの手元を覗き込んだ。しばらく眺めたあとに「きれい」と彼は率直な感想を述べる。
「綺麗?」
 クラーリィはうん、と頷いた。リュートは改めて文字盤や針に目を走らせる。リュートのような年頃の少年が持っていてもおかしくない簡素なデザインだけれど、その至る所には細やかな装飾がなされ、繊細な一面も持っている一級品だ。
「これは母さんに貰ったんだ、お守りって。ほら、裏に魔法陣が描いてあるだろ」
 リュートは手の上で懐中時計をひっくり返した。金属板のうえ、青白く魔法陣が明滅している。彼女が心を込めて、たった一人戦地に向かう息子のために贈った切なる願いと祈り。リュートはそんなホルンの想いを受け、これを肌身離さず持ち歩いている。
 クラーリィはもう一度、瞳を輝かせて「きれい」と呟いた。
「……欲しい?」
 じっと見つめたまま動かないクラーリィの頭上に向かい、リュートがそっと声を掛けた。ばっ、と分かり易くクラーリィが顔を上げる。若干慌てたその表情に、リュートは自然と顔がほころぶのを感じた。
「えっ、いやそれは王子のですからっ、……」
 己の考えが見透かされていると分かっているのか、クラーリィは申し訳なさそうに首を振った。だめです王子のですから、と彼は言う。まだ何も言っていないのに、変なところで聞き分けがいい。
「じゃあ今度、僕が君に同じようなのをプレゼントしてあげるよ。約束! 君だっていろいろ友達と危険なところに遊びに行くだろ。その全てに僕が付いていくわけにはいかないからね」
 心配だから、とリュートは続けた。
「わ、わあっ、たのしみ!!」
 一気に喜色を浮かべたクラーリィが、ありがとうございます、と照れくさそうに笑う。
「クラーリィはどんなのがいいかな。数字は大きい方がいいかな」
「ちっちゃくても読めます」
「はは、分かってるよ。ちょっと早いかもしれないけど、小さめの大人用のにしてあげる」
 きみの手にすっぽり入るサイズがいいかな、とリュートは呟く。ついで測る振りをして、クラーリィの手を取る。まだ子供っぽい、少しぷにぷにした感覚の残る手のひらを、そっと握り締める。
「……全部に、僕が付いていくわけにはいかないからさ」
 クラーリィは返事をしなかった。じっと握る手を見つけるリュートに何か思うところがあったのかもしれないし、ただ単純に掛ける言葉が見つからなかったのかもしれない。
 約束だよ、とリュートは繰り返す。魔族をどうこうする、以外の約束をしたのなんて久しぶりだった。


「ああ、いけない。そろそろお祭りが始まるね」
 微かに流れてきた囃子太鼓の音で、リュートは現実に帰って来た。しばらくクラーリィの手を握り締めたまま物思いに耽ってしまっていたらしい。クラーリィも一言「あの」とか声を掛けてくれればいいのに、こういう時に限って彼は黙りこくって何もしてくれない。
「行こうか。綿飴買い逃したくないから、ちょっと早めに歩かない?」
 ごめんね、とリュートは手を合わせる。完全にこちらの都合だが、折角のこの機会にしてみたい「普通」のことが沢山ある。
 まず、綿飴を買おう。父がしてくれたように半分に割って、片方をクラーリィにあげよう。ふわふわした雲みたいな甘さが、きっと彼を笑顔にしてくれる。そのあとは屋台を見て回ろう。小銭を多めに持ってきたから、クラーリィは遠慮し続けるだろうけど、たぶん興味を惹く大抵のことはやらせてあげられるはずだ。実際は、「クラーリィこれやりたくない?」なんて言いながら自分が引っ張っていくことになりそうだけれども。
 クラーリィはけなげにリュートの手を握り、少し早めに歩くリュートに懸命に付いていく。



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