隣 おまけ1



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 彼女いない、彼女欲しいなんて呟くたびに俺は知り合いのフリーの女の子を紹介してやった。しかも、毎度毎度クラーリィの好みを考慮に入れた上で!
 だがしかし、生粋の鈍さを誇るクラーリィが紹介した子と上手くいくことはなかった。一回もなかった。会話を数回交わしただけ、その先に発展するまえに彼女たちは漏れなく何者かに襲われてクラーリィを諦めざるを得なくなった。無論その「何者」とは紛れもなくクラーリィの溺愛する妹・コルちゃんに決まっている。だが、彼女たちに危害が及んだことにすら気付かなかったクラーリィの彼女たちへの興味は所詮その程度だったということだろうから、別段コルちゃんという邪魔者がやって来なくてもそう発展はしなかったのだろう。
 因みに、彼女たちは紹介者たるこの俺サックスが責任持って最終的にはコルちゃんの魔の手から守ったのでご心配なく。

 とにかくクラーリィはとんとそういうのにご縁がなかった。口先では欲しいだの何だの言っていたくせに、自分で努力する気は更々なかったらしい。
 それでも俺は懲りずにおまえが欲しいだの何だのと呟く度に相手をして、好みのタイプの女の子まで紹介してやったじゃないか。それともアレは全部フェイクだったとでも言うつもりか? 真実を隠すためにわざといらんことばかり口走っていたみたいな?
 まあ身の回りに実例はないからおまえが安心できるような言い方はできないかもしれないが、俺はそういうのに偏見を持っているつもりはないし、仮におまえにカミングアウトされたってそれで縁を切るような薄情者ではないと思う。流石にその対象が俺だってんなら今後の付き合い方について考えるだろうけど、この状況に追い込まれている時点でそれはないわけだから今は考えないことにする。
 そうだクラーリィ、何でなんだ、どうして選りに選っておまえはそいつを選んだんだ。百歩譲って同性であることに問題はないとしても、そいつはスフォルツェンド公国の敵国に相応しい帝国グローリアの師団長、ハープ・シコードじゃあないか! 正しくは元師団長、だけど。
 とにかくそんなバレたら不味いと思うような相手を何故初めての恋人に選んだんだ。そして、何故バレたら不味いと思っているのにコソコソしないんだ。頼むから、たまったま廊下の角を曲がったらちょうどおまえらがちゅーしてるのを見てしまったに過ぎないこの俺に魔族と同レベルの殺意を向けないで欲しい! ちゅーはちゅーでもでこちゅーじゃないか、そーんなに恥ずかしがる必要はないはずだ。ない。
 どちらかというと悪いのはひとけがないからといって廊下でイチャイチャしてたおまえらの方だと思わないか。確かにここは人通りが少ないが、だからといって人が通らないわけじゃない。大荷物の時は人とすれ違いたくないからってわざわざこっちのルートを取ったこともあったよなあ? 俺たち幼馴染みじゃないか、親友じゃないか、おまえの戯言に俺は何度も付き合ってやったじゃないか、だから恥ずかしがりはしても俺に殺意を向ける必要はまったくもってないはずだ!

 一瞬にして言い訳と走馬灯の駆け巡ったサックスはもう片方に気付かれぬまえにと逃げ出した。幸い追ってくる気配はない。クラーリィだって大人だ、日を改めれば頭を冷やしてくれるだろう。親友を口封じのために消すだなんて愚かなことだと気付いてくれることをサックスは願っている。しかし彼は紛れもなくコルちゃんの兄に相違ない、明日以降皿に毒が盛られる可能性もあるのでしばらくサックスは用心しなくてはならない。


 サックスの姿が消えてからしばらくした後、シコードはようやく身を離して「あーあ」と呟いた。その声が随分と弾んでいることに気付き、シコードにはバレないように殺気を送っていたクラーリィが顔を上げる。
「な、何だよ」
「おまえ、口止めする気か? さっきの様子だと口封じの方が正しいかな」
 かっとクラーリィの顔が赤くなる。シコードめ、きちんと気付いていたくせに離れなかったクチか!
「貴様!」
 シコードはあっさり「すまん」と謝った。無論この程度でクラーリィがご機嫌を取り戻す訳もなく、彼のつり上がった眉が戻る気配はない。
 それを知ってか知らずか、シコードはまた同じように「すまん」と謝る。
「自ら身を滅ぼす真似をしてどうする。確かにあいつの接近に気付かなかった俺にも非はあるが、折角今まで誰にもバレずに上手くやっていけていたというのにそれを貴様は易々と踏み躙りやがって」
 クラーリィは分かりやすく怒っている。シコードはクラーリィのこういう単純なところが大好きだ、思わず笑顔になってしまったようでクラーリィの怒りに火を注いでしまった。
 最近は随分とこの甘ったるい生活に慣れてしまったせいか、クラーリィは慎重さに欠けていた己に対しても幾分か怒りを感じているらしい。握る拳がふるふると震えているのをシコードは視界に捉えた。
「いいじゃないか」
「はっ?」
「いいじゃないか、別に。そりゃ問題がないわけではないが、そんな鬼の顔をしてまで秘密にせねばならんこととも思えんし」
 な、とシコードは微笑み掛ける。クラーリィは呆れてものを言う気になれなかった。どうせこの男は続けて「俺たちならきっと」とか言う。
「クラーリィ、俺たちなら何があろうときっとやっていけるよ」
 ほら。


 バレてしまったものは仕方がない。しかも相手が相手だ、下手に口封じもできない。だからクラーリィは諦めるほかない。精々できるのは風評被害の防止くらい、まあ腐っても幼馴染みなのだし、性格的にもサックスはそんなことしないだろうが。
「おのれシコードォ」
 怒るなよ、とシコードは笑った。そして思い出したように「部屋に戻ろう」と言う。そういえば、こんなところに出てきたのは部屋から微かに見えた見事な夕日を大ベランダで拝もうとしたからだった。二人連れ立って移動しているのを目撃されるのは嫌だと主張したのは無論クラーリィだ。だからこそ帰途もこのひとけのない廊下を選んだ。そして話の流れでなんとなく、……ひとえに悔しい。
 とりあえず、夕日は最高に綺麗だった。そもそもそれに気付いたのはシコードの方だし、見に行こうと誘ってくれたのも彼の方だ。普段何かと保守的な方へ走りがちなクラーリィとは違い、シコードは今でもぐいぐいとクラーリィを引っ張ってくれるし、強靭な理性も相変わらずだ。
 たとえ今シコードが知らぬ振りをしなかったとしても、今後においてもシコードの方が何らかのアクションを取らない限りクラーリィが誰かにこの関係を打ち明けることはなかっただろう。いろいろと世話を焼いて貰った親友にすら言う勇気がなかった。こんなことで嫌われるような浅い付き合いではないと頭では分かっていたし、大それた偏見を持っている訳でもないと知っていたけれど、相変わらず付随してくるであろう生活の変化が恐ろしくて行動に移そうとは考えたこともなかった。
 シコードは相変わらず優しい。そして己は相変わらずしょっちゅうそんな彼に甘えている。今回だって、動く気なんて微塵にもないくせに「以前いろいろ世話を焼いて貰ったサックスにすら黙っているのは気が引ける」なんて抜かしていたクラーリィを思いやってわざと憎まれ役を買って出てくれたのだろう。だから、恋人たるクラーリィはシコードのその気持ちを真摯に受け止めねばならない。
 クラーリィは改めてサックスには事実を伝えようと思っている旨をごく真剣な顔で打ち明けたが、それを聞いたシコードは変な顔をして笑った。
「なにゆえそんなに肩に力を入れる」
「だっ、……だって」
「おまえが言わなきゃいけないのは『殺しはしないから安心しろ』だよ」
 あの殺気はただ事ではなかった、とシコードは真顔で語る。バレないようにやっていたつもりなのにしっかりバレている。しかも冷静そうなシコードの台詞が余計にクラーリィに突き刺さる。
「照れ屋さんだなあ。初心に照れ屋と鉄壁だよ。おまえのそういうところが好きだよ俺は」
 しかも、真顔のままこんなことまで言う。
「あっ、よ、止せ馬鹿、殴るぞ!」
 顔を真っ赤にしたクラーリィが握り拳を作る。シコードはごく冷静にその拳を押し返した。
「殴ったら同じ分だけやり返すぞ。三倍とかにならないあたりが俺の優しさだ。いっそのこと河川敷で青春ごっこでもするか」
「あ、それいいな。そういう展開読んだことがあるぞ」
 文字知識だけの事柄が沢山ある、だからこそやりたいことがいっぱいある、と以前クラーリィはシコードに呟いたことがある。クラーリィが一言「やってみたい」と言えば、どんなに下らないことでも基本シコードは付き合ってくれる。そして最近はクラーリィが興味を示すカテゴリを何となく察知したのか、随分と魅力的な提案をしてくるにまで成長した。
 この数ヶ月で二人の会話にかなり重要性が失われて、メインの話題が政治的な話から下らない世間話に移行した。シコードが軽口を叩くようになったり、クラーリィに遠慮するのを控えて己の要求をきっちり口にするようになったり。そしてクラーリィは、ほんの少しだけ愛されるということの価値を知った。
 まあ、簡単に言うと、毎日がそこそこに楽しい。
「で、サックス君だったか? 具体的にどうする気だ」
「んー……飯にでも誘おうかな……」
 酒の勢いはかなり助けとなってくれるのではないかとクラーリィは考えている。奢ってやる、の一言で大方彼はひょいひょい出てくるだろう。先程のアレが原因で少し慎重になっているかもしれないが、詫びを込めて、なんて付け加えればきっと来てくれるに違いない。
「そうか。頑張れ」
「え? ……おまえは?」
 意外そうなクラーリィと同じくらい、シコードは意外そうな顔をしていた。同席していいのか、と彼は首を傾げる。
「ど、同席してくれないのか?」
「いや、別に俺は構わないが……暇だし。だがその、……俺はあまり彼に好かれる人間ではないかと。サックス君から忌憚ない意見を頂きたいなら居ない方がいいと思う。何より威圧感を感じるだろうし」
 クラーリィはしばらくシコードの顔を眺めていたが、やがて憮然とした表情で「気にしすぎだ」と言う。
「だったら折角の機会なんだし『俺は敵じゃない』アピールでもしたらどうなんだ。スフォルツェンドに友達が増えるかもしれん!」
 加えてクラーリィは「一応サックスもスフォルツェンドの高官に入るんだからおまえ程度でびびったりしない」なんて付け加えた。多分、クラーリィなりにフォローしてくれているのだろう。クラーリィの中に「シコードを連れて行かない」という選択肢がないことを察知したシコードは、渋々ながらも了解した。うまくいくことを祈ろうじゃないか。


 ***


「……こ、こんちは……」
 早くもサックスは後悔し始めていた。腐っても元グローリアの師団長、いくらにこやかな表情をしていようがクラーリィから「怖くないよ」なんて子供じみた説明を受けようが、気が退けることに変わりはなかった。だって怖いじゃないか。確実に自分より強い実力を持っていて、以前はけしてスフォルツェンドに良い感情を抱いているとはいえない国の高官だったのに。
 やっぱりクラーリィの「完璧に奢ってやる!」という言葉に釣られない方が良かったかもしれない。どんなに高い酒をがぶ飲みしても怒らないなんて言うからホイホイ付いてきてしまったが、それに相対するだけの重圧があるとクラーリィはきちんと理解していたのだ。
 ちらり、とサックスは前方を見やる。斜め前にシコード、隣にクラーリィ。クラーリィ曰く逃げ出せるように、サックスが通路側の個室四人席。逃げ出せるようになんて言っているが、この二人にタッグを組まれたらサックスに勝ち目なんてないのだからあまり意味のない配置だ。そして場所は郊外のごく普通の居酒屋。所詮庶民のサックスの居心地を考慮して、高級料亭などはやめてくれたようだ。因みにクラーリィとシコードは別々に現れた。しかもシコードはかなり上手く変装していたため、はじめサックスは誰だか分からなかった。
「サックス、そんな緊張しなくても捕って食ったりしねえから。暗示掛けておまえ操ろうとかも考えてないから」
「わ、……分かってる、分かってるよ」
 スフォルツェンドのほぼ全権を担う親友・クラーリィが選んだ相手であるし現実自分に何らかの被害が及ぶことはないと頭では分かっているものの、長年に渡り植え付けられたグローリア帝国のイメージはそう簡単に払拭されない。流石にサックスでも嘘だと思っているが、一時期は平気で人を生け贄に捧げる民族だとかそういう噂すら流れたのだった……

 相当嫌われているようだ、とシコードは思ったが何も言わなかった。想像以上に嫌われている。嫌われているというより距離を取りたがられていると表現した方が正しいだろうが、とにかく近付くことを望まれていない。スフォルツェンドとグローリアの軋轢など随分昔に理解していた気でいたが、実際そういう目で見られたのは初めてのような気がする。初対面のクラーリィも十分敵意の籠もった視線を送ってくれたが、彼は己に対抗できる実力を持っているが為にサックス君のような恐怖を感じたりしない。
 こればかりは、一日や二日で払拭できるものでもないだろう。
 沈黙に取り憑かれた二人の間を破壊したのは、わざとやっているのかかなり明るいクラーリィの声だった。
「ま、取り敢えず乾杯だ。そんでもって飯頼むぞ。いいかおまえら? 乾杯するぞ? 俺は腹が減ったんだ」
 乾杯、と一声。それから思い出したように「今日は無礼講な」と付け足す。
「もっとも今のシコードはただの留学生だからおまえより偉いとかいうことはないんだけどな。留学生とかいいつつ戻る気配ゼロだが」
 これだけ言うと、クラーリィは二人を半ば無視してピコピコ注文を進め始めた。随分と手慣れた様子で注文機を操作している。サックスは隣でじっとその操作を眺めながら、ああ少し前は全然触ろうともしなかったのに、なんて考える。
 理由なんて明白だ。これまでは多い幼馴染みの誰かがやっていたからクラーリィが手を出す必要はなかったが、クラーリィ本人がやらねば進展しないような場面に多く遭遇するようになった。場数をこなして使い方を知った。
 その横顔が、とても楽しそうでなんだかおかしい。幼馴染みのくせに、サックスはあまりこういう顔を見たことがない。
「肉。鶏肉。つくねは俺の。飯……は後にしよう。鍋……鍋も最後。あ、出汁巻き卵」
 ピコピコ音を立てながら、クラーリィはぶつぶつ大きい独り言を言いつつ注文を進める。そしてふいに顔を上げて「おまえらは?」と尋ねる。
「任せる」
「よし。サックスは? 折角だから高い酒頼んどけよ。含む慰謝料口止め料だからな」
 やっぱりそうだよね、とは口にしなかったが顔には出てしまったらしい。クラーリィは少し真顔に戻って、「別に脅してるわけじゃないぞ」と言う。
「俺はおまえがあることないこと流すような根っこの悪い奴だとは微塵にも思ってない。メインはこの間殺気を送った詫びだ」
「……どうも」
 サックスは首を伸ばしてクラーリィの持つ注文機を覗き込む。わざわざクラーリィは高い酒ばかり並んでいるページを提示してきた。そんな高いもの頼んだところで、庶民サックスに味の違いが分かるわけがない。
「じゃあ、その……下から二番目の」
「一番安いのより一つ上を選んだな。これなら文句は言われまいと考えたんだろう? いいか、遠慮はなしだ。その浅知恵はしまい込め。まあ、初回だから許してやる」
 クラーリィの指摘はほぼ当たっていたが、悔し紛れにサックスはそれを否定した。続けて下手くそな理由をくっつけようかとも思ったが、あまりにも惨めなので止めておいた。
「……と思ったが、やっぱり気に食わんので勝手に変更してやる。一番高いのだ、あとで俺に一口寄越せ」
「聞いた意味ねえし」
 ここまで黙っていたシコードが、「最初はいいものを飲んだ方がいいぞ」とコメントを入れる。
「客に出す一番は上級酒、酔っぱらって味が分からなくなってきたら安物の酒と昔から決まっているからな。ま、今日はクラーリィの財布だから最初から最後までいいもので通した方が幸せだと思うが」
「そうだそうだ! 財布は俺だ、異論は許さん。よし、注文ボタンをぽちっとな」
 ピコ、と軽い音を立てて送信画面に移行。クラーリィは満足そうに笑った。



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