隣 おまけ2



 ***


「ところでサックス」
 シコードに注文機を手渡したクラーリィは、グラスを片手にサックスの顔を覗き込んできた。
「まあ確実に勘づいているとは思うが、一応。俺とこいつは個人的に付き合っている。その、ええと、恋愛的な意味で。で、約束をして欲しい。言い触らさないって。……別におまえが悪意をもって言い回ったりしないって分かってるけど。たった一文、『クラーリィ大神官が元師団長と個人的な付き合いがある』と聞いた人間が『大神官がグローリアと内通している』と変換する可能性があるから」
 一応シコードは「留学生」名目であるし、未だに国から仕送りのようなものを貰っているそうなので、勿論定期的に報告も上げているらしい。確かに既にシコードは限りなくスフォルツェンド寄り、政治的考えが変化したかどうかは今のところ分からないが、行動規範も味付けですらもいつの間にやら完璧にスフォルツェンド風味になってしまった。だが、グローリアとの連絡線は未だ切れていないこともまた事実。スフォルツェンドにはサックスのようにグローリアをよく思っていない人間が多い、こういった思考に陥ることは大いに考えられた。
 何よりもスフォルツェンドを愛しているこの俺がグローリアと内通? たまったものではない。
「……し、してないんだよね。しないんだよね。おまえとその、……シコードさんのこれはあくまでも個人的なお付き合いで、なんかの政治的あれこれが絡んでるとかそういうのは、ないんだよね」
 ほぼ同時に二人が「ない」ときっぱり断言した。
「まあ、疑いたくなる気持ちも分かる。俺も最初シコードが嫌いだった」
「何っ」
「師団長職を辞任してこっちに勉強しに来たいって頭下げられた時、こいつ頭でも打って気が触れたんじゃないかと思ったし」
 酷い言い草だ、とシコードが抗議する。いくら過去のこととはいえ、はっきり嫌いだったと断言されるのは悲しかったらしい。しかも気が触れたとか、本人を前にして随分と口が悪い。
「……俺は会議のあの時一目惚れしたのに……」
「それほんとか。一体どこにそういう要素があったんだ。笑える」
 早くも酔いが回ってきたのかケラケラ笑っているクラーリィと、恨みがましく「俺は本気だったんだぞ」と呟くシコード。それでもって、そんな二人の仲の良い会話をひたすらに聞いているだけのサックス。
 ただ、サックスもどうもシコード一目惚れの現場に居合わせていたようだった。多分この会話の場面は例の世界会議での話、サックスはその部屋の隅の隅で警備及び雑事に追われていた。あの時のクラーリィなんてホルン女王の横に立つくらいしかしていなかったし、サックスも同じくどこに惚れる要素があったのかちっとも分からない。
「……クラーリィあの時何もしてなかったよね? 突っ立ってただけで」
「ん? あ、そっかおまえも居たんじゃん。見てたよな? 俺の非活躍ぶり」
「いや、乱入騒ぎがあったろ?」
「あったけど、俺特に何もしてないし」
 ふんふん、とサックスが頷く。そしてそれをシコードが随分必死に否定する。
「しらばっくれるなよ、おまえ誰にも気付かれないようにこっそり魔法を使っただろうが。わざわざ俺に対抗する形で」
「まじで?」とサックス。クラーリィはあからさまに視線を漂わせる。アヒル口にして、いかにも嘘付いていますという顔までする。なんと、サックスはじっと見ていたはずなのに全くもって気付かなかった。
「知らんなあ〜」
「あ、そう、じゃあホルン女王を助けたのは俺な」と、シコード。
「俺だよ!!」
「あ、認めた」
「あ」
 やられた、とクラーリィは悔しがる。今回はクラーリィの負けだ。
「へえ、まじでそうなんだ。俺見てたのに知らねえや」
「フン、嫌がらせだよ嫌がらせ。ただでさえ気に食わねえのになんでホルン様を助けたとかいう恩を売られなきゃいけねえんだよ。第一おまえが失敗したらホルン様危険だし。おまえの実力なんか信用ならねーんだ! だから俺がこっそり布石を打ったに過ぎん」
 あそこで張り合ったら情けないし、とクラーリィは続けた。確かに子供っぽい展開になりそうだ。
「ま、もっとも今は信用しているよ?」
「そりゃどうも」
 慌ただしく店員の足音が近付いて、注文した料理の山が届けられた。わあい、と無邪気にクラーリィが箸を取る。
 店員が消えた頃を見計らって、それで、とようやくサックスの方から話題を切り出した。
「そのやったやらないのこっそり魔法劇のどこに、そういう要素が……」
 折角だから最後まで聞いておきたい。ひとえに気になる。早くもつくねを奪い去ったクラーリィが、もぐもぐやりながら「そういうって、惚れるような要素ってこと?」と首を突っ込んできた。
「俺も気になる気になる〜」
「む……」
 クラーリィはニヤニヤしながら「気になる〜」と言い続けている。案の定シコードの顔が赤くなる。
「お、おのれクラーリィめ……その、……」
 もごもごとシコードは何か言ったようだったが、対面に座する二人の耳には届かなかった。聞こえない、もっとはっきりものを言え、とクラーリィは注文を付ける。
「はい復唱」
「子供っぽく対抗心剥き出しでやって来る辺りが……その、かわいい……とか思った」
「……へー……そうなんすか……」
 腐るほど「友人」をやっているしそういう場面に何度も遭遇したと思うが、サックスがクラーリィに魅力を感じたことは一度たりともなかった。よく分からないとサックスは結論づける。まあ人の趣向はそれぞれだ、お互いがいいと言うのならサックスは干渉しない。さて囃し立てていたクラーリィはと視線を向けると、お隣の彼はそれはもう吹き出したくなるほどに顔を真っ赤にしていた。
「……トマト」
「うるせえサックス黙れ。おいこらシコード、俺をかわいい呼ばわりはいい加減止めろ。俺のプライドが傷付く」
「トマトクラーリィ」
「サックスも止めろ!」
 自身の指摘がツボに入ってしまったのか、サックスがけらけら笑い出した。随分と度の強い酒だったから、本人はそんなに飲んでいないつもりでも酔いが回ってきてしまったらしい。
「語呂がいいな。健康的でいいじゃないか」とシコードが悪乗りする。
「おまえらそれ俺のあだ名にしやがったら許さねえからな……?」
 ただでさえ女官からからかわれているのか若い故の愛称なのか分からないレベルの呼ばれ方をされまくっているクラーリィだというのに、この上そうそう原形を一切留めない愛称が登場してしまったら最早手の付け所がない。
 ようやく笑いの収まったサックスが、氷の溶けかけたグラスから水を一杯、「ああ、なんか良かったね」と曖昧な言葉を呟いた。
「うん?」
「なんか、その、ええと……恋人できてよかったね」
 サックスは木製の机をじっと眺めている。その心中は複雑だろう。そこそこに内部事情を知っているだけに、この二人の間柄が二人の世界で終始しないことだってきっと分かっているはずだ。
 けれど、彼は「よかったね」と言ってくれた。クラーリィはしばらく真顔で黙って、それからまた小さな小さな声で「うん」と言った。
「え、その、ありがとう」
「最初殺されるってビビって、その後冷静になってむかついて、今ようやくよかったねって言えるようになった」
 ええと、と若干言葉を探しているクラーリィに、サックスは「謝らなくていいから」と釘を刺す。
「君の親友サックス君は心が広いし偏った考えも持ってないから、今日の奢りでパーにする」
「そ、そうか」
「じゃ、俺トイレ」
「まっすぐ行って突き当たりを右だ」
 素早く入ったシコードの指摘に少し驚きつつも、サックスは「どうも」と微かに頭を下げる。てくてくと廊下を進んでいくサックスの後ろ姿を見えなくなるまで見送って、残された二人はほぼ同時にため息をついた。

「ほーら嫌われている」
「努力しろ!」
「俺は腹が痛くなったことにして帰ろうか?」
 帰ろうか、ではなく帰りたいだろ、と容赦ないクラーリィの指摘が入る。
「努力しろ! 友達が欲しくないのか! スフォルツェンドで永遠にぼっちで生活する気か!」
 早くもサックスに事実を告げるという難題をクリアしてしまったクラーリィは、既に目的を切り替え始めている。こちらへ来てからというもの個人的に会話を交わした人間なんて、クラーリィを除けばパーカスくらい、あとはつい先程のサックスくらい。いずれグローリアに戻りそれきりこちらに来ないのなら問題はなかろうが、今のところ毛頭帰る気のないシコードにはいい加減国内に友人の一人や二人作ってもらわないと困る。
「……俺は別におまえがいればそれでいい」
「はん、そんな安っちい台詞で俺が騙されるとでも思ったか。俺は恋人ライフも仕事ライフも友達ライフも充実させたいんでな。全部俺に寄り掛かられると困る」
 む、とシコードが言葉に詰まる。言い草はいまいちだが、この場合分があるのはクラーリィの方だろう。
「別にサックスと友達になれとは言わないけどな。グローリアに帰る気がない、スフォルツェンドに永住する気ならその辺も真剣に考えてくれ。孤独死するぞ」
「俺のためを思って言ってくれているんだと解釈するよ」
「当たり前だろう。俺はあくまでもおまえを心配して言っている。口が悪いのはおまえの許容範囲のはずだ」
「ご尤もだ」
 クラーリィは会話を切り上げ、ぽつぽつと残っている皿を片付けて隅に置き、また注文機を手に取る。握り飯食いたい、と独り言を言っている。
「鶏肉追加。つくねは俺の。握り飯。梅干し? あ、ツナ。あと鍋」
 ピコピコと愉快な音を立てて注文が積み上がる。シコードと二人で来るようになるまであまり注文機には触らなかったらしいクラーリィ、ここぞとばかりにいろんなボタンを押したりとはじめは色んなことをやってシコードの笑いを誘ってくれた。今は今で、操作法を熟知したらしい彼の手際の良い操作を見ているのがそれはそれで楽しい。
 一通り注文して満足したのか、クラーリィはようやくシコードに注文機を渡してくれた。酒頼めば、と彼は言う。ちょうどその時、頃合いを見計らったかのようにサックスが帰って来た。おかえり、とクラーリィが頬杖をついた状態で迎え入れる。
「ちょうどよかった」
「はい?」
「俺トイレ行きたい」
 あ、そう、とサックスは言う。サックスが入る前にクラーリィが出て、それからサックスがちょこんと長椅子の隅っこに座る。対角線上に、サックスとシコード。
「じゃ、仲良くな〜」
 予測していなかった展開にシコードは慌てたが、なんとか顔に出さないことに成功した。じゃあと言ったクラーリィの顔はしたり顔、サックスの逃げ場でもある己の退場により場の進展を狙っているのかも知れない。

「サックス君。……注文ボタンを押す前に、何か頼みたいものは」
 はい、と手渡し。なにせ対角線上にいるのだから遠い。それを察知してか、サックスは静々クラーリィの座っていたところにまで移動した。机の上に置いて、画面を覗き込んで、なにやらボタンを一つ二つ押して、はい、と呟く。
「もう注文ボタン押していいんすよね」
 ああ、とシコードは頷く。その様子を見届けてから、サックスは黙ってボタンをぽちっと押した。それからご丁寧に注文機を充電台に戻して、タッチペンまで綺麗に片付けて。シコードははじめそれで時間稼ぎをするつもりなのかと思ったが、案外その操作は早くに終わりサックスはすぐに己に向き直った。
「ところで、あの、なんでクラーリィと上手くいってるんすか」
 ずいと身を乗り出してきたサックスにシコードは一瞬気圧される。その言葉に滲む「上手くいくはずがない」という主張がシコードの背筋に冷たいものを走らせる。
「クラーリィから聞いてるか分からないけど、あいつ俺に女の子何回も紹介させときながら一回も上手くいかないで、っていうか基本女の子放置で、全部おシャカにしやがって。俺の見立てが悪かったのが原因ならひとえに悔しいっていう」
「……ああ……」
 感じる恐怖が短くて良かった。今は幸せだ、幸せすぎる生活なだけに失われることが恐ろしい。いつかクラーリィが「やっぱり女の子がいい」なんて言って自分の元を去ってしまう可能性を、いつまでもいつまでも纏わり付く亡霊か何かのように感じて止まない。だから、己とは違ったベクトルでクラーリィをよく知る人物から「上手くいくはずがない」なんて言われてしまった日には、きっと一睡もできないだろう。
「……なんだろう、俺が押したからかな」
「ぐいぐい?」
「……ああ、そんな感じ。意外と、押されるのに弱いから」
「あー……なるほど……じゃあもう少し大神官って地位に怯えないがさつな子を選ぶべきだったか」
 清楚っぽい子ばっかり選んだのは失敗か〜、とサックスは独りごちる。クラーリィの財産目当てではない人間を捜すのは意外と骨が折れる作業だった。その中から更に選り好みをしていたのだから、クラーリィはかなり贅沢をしていたことに違いはない。

 いくら恋仲に進展しなかったとはいえ、それを聞くシコードの心中は言うまでもなく複雑だった。
 いつもシコードは「二人なら何とかなる」とクラーリィを励ましているが、その実その言葉は己自身に向けたものだ。良く言えば何とかしたい、何とかしてみせるという決意の表れ。悪く言えば、現状への不安の表れ。
「兄貴面するつもりはないけど、俺一応クラーリィの幼馴染みだし、努力する気もないのに彼女欲しいとか意味不明なこと喚いたクラーリィの気持ちが少しは分かったからこそ女の子紹介とかやってあげたんだし。まあぶっちゃけ、未だになんで選りに選ってあんたなんだって思ってるけど、蓼食う虫も好き好きなんて言葉もあるし。俺は文句は言わないつもり、あんたがグローリアに内通してない限り」
 シコードは黙って顔を上げる。
 サックスはごく真面目な顔をしていた。別に嫌がらせをしているわけでも、勿論ふざけているわけでもなく、ごく単純に親友の気持ちが悪い方向に利用されることだけを警戒している。幼馴染みにして親友・クラーリィの幸せのために一肌脱ぐような人物なのだ、この警戒も無理はないとシコードは思った。ならば、返答の内容は慎重に考えねばならない。
 考えた末、シコードは「以前、わりと真面目にスフォルツェンドへの帰化を考えたことがあってね」と切り出した。
「……してないっすよね?」
「していない。結局しなかった。完全なる疑念の払拭は出自がグローリアである以上永遠に無理だろうが、こういう行動を取っていれば少しは……と考えてね。
 結局クラーリィに止められた。祖国を捨てるんじゃないってな。俺に捨てられたら帰るとこなくなっちまうんだぞとか笑ってたが、まあ愛国心の強いクラーリィらしい怒り方だなと思って、帰化する案は捨てることにした。帰化しない以上異国民に変わりなく、君たちが当然のように持っている諸々の権利がないままだから、少なくともスフォルツェンドの内政に関与する機会が失われているという観点から怪しまれることはないのではないか、とクラーリィはフォローしてくれたし」
 サックスは黙ってシコードの話を聞いていた。恐らく彼は、シコードの語る話が真実かどうかを見極めようとしている。シコードが打てる手は全て打った、だからあとはそれをサックスがどう処理してくれるかだけ。しかし己が値踏みされているような状況は居心地のよいものではない、シコードは早くも沈黙に耐えられなくなってしまった。
「結局のところ信用問題だ。やっていない、という悪魔の証明はできない」
「……そりゃそうだ……すいませんけどこの件は保留で」
 そうしてくれると有り難い、是非に良い判断を待っている、とシコードは呟いた。
 実際の所、腐ろうが何をしようがクラーリィの選んだ相手に相違ない。結果としてシコードは二人の信頼関係を利用することになってしまうが、いつかサックスはクラーリィの信用するシコードのことを、信用まではしなくともきちんと認識してくれるようになるだろう。たとえ恋人同士になろうが、シコードが決して越えることのできない長い時間を共有してきた幼馴染みの二人の間には、シコードとクラーリィの間にある信頼関係とはまた違うものがある。
 ただし、そこへ至るにはもう少し時間がかかる。

 店員がご注文の品を運んできて、入れ替わるようにクラーリィが戻ってきた。机の上の変化に気付き、クラーリィはぱっと表情を明るくする。
「ただいま。おっ、なんだ鶏肉来てんじゃん。つくね俺に寄越して」
 場所を交換しようと腰を浮かしたサックスを遠慮なく突き飛ばし、クラーリィは元サックスの場所に腰を下ろす。どうやら席交換が面倒になってしまったようだ。
 律儀に皿と箸だけは交換し、クラーリィは呆気に取られるサックスを半ば無視してつくね攻略に取り掛かった。
「……ちょ」
「なんか俺がいない間に面白いことあった?」
「特になかった」とシコード。
「あ、そうだ、言おうと思っていたことが。サックス君」
「は、はい?」
 振られるとは思っていなかったサックスの声が上擦る。クラーリィに無視されたと諦め、呑気に残りの焼き鳥に手を出していた真っ最中だったようで、拍子に変なところに吸い込んだのか彼はしばらくゲホゲホと変な咳をしていた。
「ばっかで〜サックス」
「う、うる、うるへえっ、げほ、げほんっ……な、なんすか」
「今度三人でカラオケに行かないか」
 サックスの目が丸くなった。
「へ? ……いや、二人でいいんじゃないすか、つ、付き合ってんでしょあんたたち。そこにプラス俺とかマジ空気読めな……」
 クラーリィはともかく、元師団長さんも顔に見合わずカラオケとか行くんだ、と思ったが一度に全てを言うことはできなかった。横から二人を交互に眺めてニヤニヤしているクラーリィは、「別におまえの前でいちゃついたりしねえぞ」とシコード側に付いた。
「正しくは『クラーリィがカラオケに行きたいと言い出した時に君も付いてきてくれないか』なんだが」
「む、なんだその言い方」
「行けば最後マイクを離そうとしないし、おまえのリサイタルに強制動員させられてるみたいで辛いんだ」
「言ったなこの野郎」
 そんなこと言ってる貴様だって、なんて口を尖らせてクラーリィは抗議する。サックスは一応「喧嘩はよしてよクラーリィくん」と釘を刺しておいたが効果の程は疑問だ。
 二人は机を挟んで頬をつねったり前髪を引っ張ったりと、随分子供っぽい方法で喧嘩している。サックスはあくまでも傍観に徹するつもりだったが、前髪を引っ張られたシコードが「抜ける!」と悲鳴をあげたときは流石に吹いてしまった。廊下の端の席で良かった。
 この面子でカラオケかあ、なんて。まあ、いいんじゃなかろうか。やってくれるかどうか分からないが、折角だし妖精さんの豪華なバックコーラス付きなんてのをやってみたい。煌びやかな魔法のエフェクトも付けて。
 サックスにはいくつか分かったことがある。一つ、覚悟していたほどクラーリィは変わっていなかったこと。一つ、噂のシコードとやらが一応中身はきちんと人間らしいこと。それから最後に一つ、非常に腹が立つくらい、サックスの知らないところでいつの間にかクラーリィがそこそこの幸福を満喫していたこと。最近彼女欲しいって言わなくなったな、とは思っていたが……あれだけ斡旋させたのだから「もうその必要はなくなった」の一言くらい欲しかった。しかし、心の広い俺はこのくらいでネチネチ愚痴を言い続けたりはしない。ただ、ガキっぽい喧嘩をしている二人を見るになんだか腹が立ってきたから遠慮を捨てて高級なものを頼みまくることにする。

 ようやく気が済んだらしく、二人は大人しくなった。サックスが嫌味ったらしく「もういいの」と問い掛けるとクラーリィがあっさり頷いた。シコードはちょっとだけばつが悪そうにそっぽを向いている。
 時計は午後九時。お帰りになるにはまだ早い。いっそのこと馴れ初めから現在に至るまでの面白エピソードを根掘り葉掘り聞き出してやろうかと考えながら、サックスは注文機を手に取った。


 ***END



Top Pre