嘘をつく。・2



 ***


 食堂に顔を出したらちょうど自分の悪口を言われていたところらしい。少し遊んでやろうと他人を装って「そうだそうだ!」と何気なく口を挟んだつもりが逆に態とらしかったらしく、元凶現る! と集中砲火を浴びた。
 何だよ、とサックスは笑う。
「何だよっておまえ、俺との約束ドタキャンしときながらおまえが何だよ! その後も一切フォローねえし、幼馴染みだからってちいとばかし扱いが粗雑なんじゃねえのサックス君よ? あん?」
「だって後に入った予定の方が、おまえとの約束より大事だったんだもん」とサックスは開き直る。

 結局最初に入っていた別の幼馴染みとの約束を反故にして、サックスはクラーリィと「デート」なるものを満喫してきた。公園に行って鳩と戯れたり、街角のアイスクリーム店に立ち寄って買い食いしたり。見晴らしのいい場所で缶ジュースを片手に、くだらない話を何時間もし続けたり。
 それでもって最後に、手を繋いでみたり。キスはしなかった。なので勿論、その先もなし。夕方が過ぎるとコルの安否を心配し出すクラーリィの性格も相まって、陽が完全に落ちる前に二人して帰途についた。
 尤も、サックスの行動のあれこれには幾分面白半分な所が含まれていた。純粋な「クラーリィへの好意」が動機ではないという点で、あまり喜ばしいものでもないと思う。けれど全てがそうではない、手探り状態から出発してクラーリィといろいろやってみるのは楽しかったし、自分は久しぶりに彼の笑顔を見た。たぶん、クラーリィも喜んでくれていたと思う。
 ああ恋人ってデートって、こんなもんなのかな、と思ったりして。

「俺との約束より大事な約束って何だよ? おいコラサックス、返事によっちゃただじゃおかねーぞ」
 友人は怒っているらしい。かなり昔から入れていた予定だから仕方のないことだろう。サックスは「へーへー」と全く反省していない素振りを見せ、それからごくさらっと「恋人できたんだもん」と付け加えた。
 一瞬この場の空気が固まったことをサックスははっきりと感じ取った。げらげら笑い出さなかった自分は偉い。
「……は? 恋人?」
 うん、とサックスは頷く。この場にいたその他の幼馴染みも、同じく呆けた顔をして頭に大量のクエスチョンマークを浮かべている。
「サックスに恋人おおお?」
「うん」
「うわーじゃあ何、初めて恋人できて嬉しいがあまりこいつとの約束ブッチしたってそういうこと」
「うんそう。デートの予定入れちゃったのごめんね〜」
 へらへら笑いながら言ってみると、思惑通り幼馴染みたちは口々に「うざい」とか「死ね」とブーイングを浴びせてきた。軽く流してくれた方がいい。真剣に恋路について相談・報告するつもりなんて始めからないのだし。
 そのうち話題は「ずばり相手は誰なのか」という方向にシフトする。サックスは「教えてあげない」と笑った。
「あ、じゃあ当ててやろーじゃねーか、えっとーそうだなー女官だよな?」
「ヒントはゼロで」
 ちょうど昼飯時だし、とサックスは時計を見上げる。
「当てた人は俺が昼飯奢っちゃる」
 何ィ、なんて幼馴染み。それぞれ昼飯一食の支払いに困るような給料を貰っているわけではないエリート集団だが、集まってしまうと最後、各人の中に残る子供っぽいところが如実に現れるようになる。
 本を正せば、サックスとクラーリィがこんなことになったのもこの集団の悪ふざけが全ての原因。みんなは躍起になってサックスの恋人の当てっこを始めてしまった。勿論サックスは、その全てに「外れ」とニヤニヤしながら言うことになる。
 彼なんて発想が出てくる奴はいないはずだ。サックスの恋人、という時点で候補から外れているに違いない。クラーリィやサックスをよく知る彼らだからこそ、当てられるはずもない。

「あっクラーリィ! おまえ随分とお久じゃねーか!!」
 あれ、とサックスが振り返る。幼馴染みの一人が食堂の隅っこに現れたクラーリィの姿を見つけた。その金色の綺麗な髪が、広い食堂の中でも一層際立って見える。簡単に言うと、見つけやすい。
 おーい、なんてぶんぶんと手を振る幼馴染みに気付いたらしく、クラーリィはとことこ近寄ってきた。
「よっ」とサックスが挨拶する。クラーリィは暫くサックスの顔を眺めて「よう」なんて小さく返事をする。サックスが当然のように隣の空き椅子をぽんぽんと叩くと、クラーリィは黙って隣に座った。
 集まっている割に誰も食器を抱えていないので、少しタイミングを間違ったかと悩んでいるらしい。サックスが「みんなこれから」と呟くと、少しだけほっと息を吐いた。折角時間が取れたから来たのに、良かった、なんて独り言なのかそうでないのか判別しにくい大きさで呟く。
 久しぶりにプライベートのクラーリィを拝んだ幼馴染みたちは、早速サックスの恋人のヒントを探り出そうとクラーリィに「おまえは知ってる?」と問い掛ける。
 クラーリィは目を丸くした。
「えっ? えっ?」
「クラーリィは知ってるぜ〜」
 教えるなよ、なんてサックスが釘を刺す。その上でことのあらましを話す。クラーリィは変な顔をしてサックスの話を聞いていた。
 一瞬、己とは別に恋人を作ってしまったのかとぎょっとしたのかもしれない。流石にサックスはそこまで鬼畜ではないが、クラーリィの中のサックスがどうかは分からない。それとも幼馴染みに早速この関係を言い触らすつもりなのかとでも思ったのだろうか? サックスがあんなことをしなければ永遠に黙ったままで済ましていたであろうクラーリィのこと、ただでさえ曖昧なこの関係を幼馴染みに話すことなど考えたことすらないのだろう。ただ単に、己にはない発想に驚いただけかもしれない。
 サックスは答えがあるにも関わらず絶対に導き出せない問題を餌に幼馴染みをからかいたいだけで、答えを教えてやるつもりなんて最初からなかった。サックスは脈絡なく平気、と呟く。その言葉を理解してくれたのか、クラーリィはややあってその変な表情をしまい込んだ。
「あっずりー、何でクラーリィには教えてあるんだよ」
「だって親友だもん。そーだな、正解者が出なかったらおまえを奢ってやるぜクラーリィ。だから言うなよ」
 黙っていたクラーリィがぱっと顔を明るくする。分かったと頷いて、ヒントを欲しがる幼馴染みたちに「駄目」の一言。何が彼の表情を変えたのか、サックスにはいまいち分からない。奢ってやる、のあたりだろうか?
 サックスはもう一度時計を見上げて、「あと3分で時間切れな。俺の腹限界」と言った。苦しむがいい! どうせ答えなんぞ出るわけがないと高をくくっているサックスは、にやにやしながら全員の顔を見比べている。こんなくだらない問題に何を必死に、とコメントしたくなる程度に幼馴染みたちは真面目な顔をして考え込んでいる。
 一通り名をあげてみたものの、ティンを除いて全員外れ。ティンは最初からこの場にいるものの、サックスの恋人当てには参加せず騒がしい幼馴染みの様子を眺めているだけだった。
 じゃあおしまい、と言い掛けたサックスの言葉をティンが「分かった」と遮る。サックスが目を丸くして、注目が彼女に集まる。少しだけ、クラーリィが残念そうな顔をする。
「耳貸して」
 ティンは立ち上がるとつかつかサックスに近寄って、この食堂の喧噪にかき消されそうな小さな声で彼女の考える回答を呟く。そういう配慮をするということはつまり。
 ティンの回答は正解だった。
「……当たっちゃった」
 あら残念、なんてサックスが呟く。クラーリィが苦笑しながら「凄く残念」と追従する。
 ティンは暫く何か言いたそうな顔をしていたが、そのうち諦めたのか勝ち誇った顔をして注文を付けてきた。
「約束通りご飯奢って。一番高いの頼もうっと。サラダとアイスも付けよっかな。あ、食後の紅茶も」
「遠慮ねえな……くそー選りに選っておまえか」
 まさか本当に奢る羽目になるとは思っていなかっただけにサックスは悔しさを滲ませる。背景で「ずるい」とか「俺にも教えろ」とかブーイングが聞こえたが、反応する必要性はないように思う。
 ふと隣を見ると、想像以上に落胆しているクラーリィがいた。サックスはクラーリィの顔を覗き込み、そんなにがっかりするなよと笑う。この中で一番いい給料を貰っているくせに、とか。
 クラーリィはたぶんサックスにしか聞こえないような小さな声で、「そういうんじゃないよ」と呟いた。真面目な声、へらへら笑って流すに値しないなんだか重要そうなニュアンス。サックスの浮かせ掛けた腰が止まる。
「まだー?」というティンの声に弾かれたように、サックスは「仕方ねえな、おまえも奢ってやるよクラーリィ」と言ってしまった。言ってから少し後悔した。でもまたぱっとクラーリィの顔が明るくなったので、なんかもういいかと諦めることにした。相変わらず理由は分からない。いや、今のは割と分かりやすい……
 案の定、幼馴染みたちからは「ずるい」とのブーイング。
「うるせえなあ、おまえ等いい給料貰ってるくせに一食如きをケチってんじゃねえよ! ホレ行くぞクラーリィ」
 クラーリィを引きずるようにして注文口へと向かう。幼馴染みたちは少しばかりぶうぶう言い続けていたが、その内諦めて各自財布を手に席を立った。

 ティンとは違い、クラーリィはいつも通りかそれより少な目の注文を付けてきた。比較対象がいるだけに、この程度でもかわいい奴なんて感想が浮かんでくる。しかしここでそれを口にしてしまっては恐らく当事者二名からそれぞれケチを付けられると思い、サックスは何も言わなかった。
 食券発行の列に並んだサックスを見送り、二人がぽつんと彼の帰りを待っている。彼が囁きの聞こえない距離にまで離れた途端、ティンがずいと顔を覗かせてきた。
「な、なに」
「クラーリィあんたさ」
「んっ?」
「あんた一体サックスのどこがいいの? 正直当たると思わなかった。どうしてこんなことになっちゃったわけ」
 あんたの様子がおかしかったから冗談半分で言っただけなのに、とティン。クラーリィはしばらくぼんやりと彼女の顔を眺めて、それから不思議そうな顔をして笑った。なんでかな、なんて他人事のように言う。
「どこが、って、……全部。なんてな。分からないな、なんか全体的に好きなんだ。嫌いなところならすぐ思い浮かぶんだけどな。それに付き合ってくれって言ったの、俺の方だし。
 様子おかしかったか? 参ったな……」
 ティンは呆れ顔でクラーリィのことを眺めてたけれど、やがて追いついてきた幼馴染みに気付いて口を噤んだ。聞きたいこと、突っ込みたいところが多々あったものの仕方がない。あんな男のどこに惹かれたのかティンにはさっぱり分からないが、ティンには見えないいいところというのがきっとサックスにはあるのだろう。それでもってクラーリィには、恋は盲目なんて言葉通り、ティンにとってのサックスの欠点が長所にすら見えているのかもしれない。
 趣味悪い、と思ったがティンは何も言わなかった。


 ***


「サックス」
「はいっ?」
 急に真面目な声色で呼ばれたので、サックスは若干慌てて顔をあげた。「なんとなく」という不思議な理由で書類をサックスの部屋に持ち込み一人黙々と残業していたクラーリィは、さっきまでかりかりと勢いよく動かしていた手を止めて、真っ直ぐサックスの方を見つめている。
 同じく「なんとなく」すべての行動に自信を持てないサックスは、理由もなく後ろめたい思いを感じながら「なに?」と問い掛ける。
 サックスの反応に逆に驚いたのか、クラーリィは若干申し訳なさそうな顔すらして「いや別に、そんな真面目な話じゃない」と弁解してきた。別に姿勢を正す必要はない、とクラーリィは続ける。
 サックスはふと己の姿勢を省みて、ため息を付きながらソファに埋もれた。真面目な声を出すクラーリィが悪い。仕事の時みたいな気持ちになるじゃないか、仕事中は彼が上司にあたるのだから呼ばれて姿勢を正すのはある意味正しい反応だと思う。
 時刻、日付の変わる直前。耳を澄ますと微かに風の音が聞こえてくる他は、無音。ペンの走る音とか、時計の秒針の音とか、ページを捲る音だとか、そういうのが一度気にし始めると耳に付くようになる時分。
 そんな真面目な話じゃないと弁解した割になかなか話し出さないクラーリィを眺めながら、サックスはこんな時間まで残業してクソ真面目だよなあとか他人事のような感想を抱く。クラーリィはなかなか切り出さない。サックスの書斎机を占領して、頬杖をつきながら言葉を探しているらしい。
「えっと……奢ってくれてありがとう、昼」
「別に今度奢り返してくれたっていいんだぜ」
 嬉しかったんだ、なんて独り言みたいな感想を貰う。その顔には迷いらしきものが浮かんでいるが、仄かに混じっている喜色がサックスの心を刺激する。
 なんだろう、面と向かって満面の笑みで「ありがとう」と言われるより嬉しい気がする、我慢しているにも関わらずしまいきれずに溢れてきてしまっている喜びの感情というか。ああほんとに、あんな些細なことなのに心から喜んでくれたんだなっていう、サックスの心の奥の方を刺激する何か。
 えっと、なんて相変わらずクラーリィは言葉を探している。なんとなく空気を読んだサックスは、待つことを諦めた。どうせ待ってたってろくな話は出てこない。己が空気が読めない方なことくらいよく知っているが、たぶんこの場面はそういう場面だ。待っていても仕方がない。実際クラーリィに言いたいことなんて「ない」はずだ。話し掛けたくはあっても。
「あ、っていうか、クラーリィさ」
 クラーリィの言葉を遮るように、サックスが口を挟む。クラーリィが頬杖を解いて、サックスの方へ視線を向ける。その顔に、ちょっとだけ安堵。ほら見ろ、最初からこういう展開を待っていたに違いない。まあ、サックスが言おうとしていることは流石に予想外だとは思うけれども。
 あんまり冗談だと取られても困るので、割かし真面目な声を出そうとサックスは努力した。そのつもり。
「いっぺん俺とやってみない?」
 クラーリィは一瞬真顔になって口まで開きかけたが、言葉を発するのは諦めたと見えすぐに口を噤んでしまった。
 言いたいことはちゃんと言った方がいいよ、と素っ気ないサックスのアドバイス。
「清純ぶった方が良かったか? 何も分からないような顔をして『えっ何を?』とか、今更すぎて気持ち悪いかなと思って」
「俺は分かってるくせにとか言っておまえを苛める気満々だった」
「そうかそれは……やめといて良かった」
 ようやくクラーリィが笑う。その堅い表情が崩れる。残業なんてどうでもよくなったのか、クラーリィは椅子から離れ、つかつかサックスの座るソファの方へと移動してきた。ぼすんと音を立てて隣に収まり、それから「いいんじゃない」と、聞き覚えのある返答をする。
「責任取ってくれるなら。流石にここまでお試し感覚でやられると俺泣くよ」
「……なんとなくそんな気分なんだよね。今」
 どう、なんて随分軽そうなサックス。クラーリィはそんな彼を値踏みするかのように眺めている。本気だろうか? どうも信用できない態度だけれども、信用していいのだろうか? サックスの中にクラーリィの求める「決意」はあるのだろうか?
 カチコチ、二人の間に響く秒針の音。じっとそれに耳を澄ませていたクラーリィが、ふと顔を上げる。
「……おまえ、俺の恋人になってくれんの、結局」
 サックスはくるっとクラーリィの方を向く。それから不思議そうな顔をして、すぐに表情を崩した。
「え? もう恋人だよね?」
 クラーリィは瞬時に眉を寄せてソファにサックスを突き飛ばすと、遠慮なく「バカ」と罵ったあとその上にのし掛かった。サックスは「何だよ」と笑っていたが、やがて黙って近いクラーリィの顔を眺める。顔が赤いぞ、クラーリィ君。
 不意打ちに近く腕を回して力を込めるとクラーリィは少しだけ暴れたが、やがて大人しくなった。


 ***END



Top Pre