かげろう



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 どうも些細なことだったような気がするが、とにかく恋人と久しぶりに激しく喧嘩をして、結局クラーリィ側が一方的に打ち切って部屋を出てきてしまった。
 近辺に留まるとすぐに見つかると思い、ふらふら城下を抜けて外れの森の方まで歩いてきた。一応ルートは選んだ、あまり人には目撃されていないはずだ。尤も魔法なんて使われた日にはあっという間に見付かってしまうだろうが、本気で逃げ隠れる気のないクラーリィにはただ単にあの場から今は少しでも離れられればそれで良かった。
 城下から外れた森の入り口は鬱蒼としていて、その森に沿って人の踏み締めた舗装されていない道が遠くまで続いている。このままこの道を辿っていけば、その内国境へ出て外国へ抜け出せるだろう。しかしながらクラーリィには地図上の知識があるだけで、実際この道がどうなっているかは知らない。
 きょろりと辺りを見回して、他に人影がないことを確認してから森の中へと入る。ここを真っ直ぐ突き抜けて、大きな樫の木の所を右に曲がれば小高い崖の上に出る。大人二人が寝転がれる程のスペースしかないが、逆にその狭さが如何にも秘密基地らしくてクラーリィのお気に入りになっている。
 見晴らしはそこそこながらとかく立地が悪い。ゆえに人はそう来ないだろうし、なによりこの随分とぐちゃぐちゃになってしまった心を鎮めるにはちょうどいいだろうとクラーリィは考えた。
 ざくざくと湿った地面を踏み締めながら、クラーリィは一人黙々と森の中を進む。

 ああ、思い出した。
 珍しくサックスが「クッキー焼いたよ!」なんて言って持ち込んできたから、嫌味の一つも言わずに黙々と食ってやったのに、あの男食い終わった俺に向かって「気分はどう?」なんて言ってきたのだった。当然ながら「は?」と俺は聞き返す。サックスの馬鹿がいけしゃあしゃあと「蝮ドリンクっぽい魔法を練り込んでおいたのですが」なんて言ってきたので、俺は遠慮なくその頭に力一杯握り締めた拳骨を振り下ろした。そこを発端に珍しく激しい喧嘩になったのだった。
 我ながら下らない。
 発端はそんな馬鹿げたものだったが、喧嘩の内容は割と真面目なものだった。喧嘩するほど仲がいいという言葉をクラーリィはよく知っている。だからお互いの改善すべき点や相手への不満を率直に伝えられるこの二人は本当に仲が良いということになるのだろう。
 だが、サックスの「おまえ本当に俺のこと好きなのかよ!」という一言にショックを受けたクラーリィは、ろくな反論もせずに逃げ出してきてしまった。
 冗談でもあんなことを言うサックスが悪い。いや、たぶん冗談じゃなかった。あの様子は本気だった。日頃から思っていたことが、喧嘩を発端に箍が外れてつい口に出してしまったに違いない。だって言った時にサックスの奴、あからさまに「しまった」という顔をしていた。
 詰まるところクラーリィはその愛情を疑われていたということだ。こっちはサックスのそれを疑った事なんて一度もなかったのに。
 クラーリィは咄嗟に言い返せなかった。恐らくは己のこれまでの行為の蓄積が招いた結果、即座に「そんなはずはない」と反論するだけの実例を思い浮かべることができなかった。
 そんな過程を経て近年稀に見るほどの自己嫌悪に陥ったクラーリィは、とぼとぼと森の中を進んでいく。てくてく歩いている間に結論も出た。たぶん、こんな風に過去を冷静に振り返れるのは自分のよいところ。そして咄嗟に「逃げ出す」なんて選択をするところが、自分の悪いところ。逃げ出して少し時間を置けばそのうちまた何となく仲直りできるだろうなんて打算的な考えを持っているから、サックスに疑われたりするに違いない。サックス相手でなければクラーリィは逃げない。きちんと相手に対し、誤解を解こうと努力をする。それを怠って真っ先に逃げ出したのは、即ちクラーリィの甘え。……ということに、なると思う。
 急に視界が開けた。到着だ、クラーリィの数少ない逃げ出し先の内の一つ。幸いにして今日はいい天気で、足下に広がる城下町が美しく煌めいていた。

 クラーリィは腰を下ろす。ぬるい風が頬を掠めて、森の中へと消えていく。音らしき音はあまり届いてこない、微かに聞こえてくるのは木々のざわめきくらい。
 大きく息を吐く。自己嫌悪で潰れてしまいそうだ。しおらしく体育座りなんてしてみせて、膝の間に顔を埋める。いつもはここに来て少しすれば気も晴れたものだが、今日はそう簡単にいかない。
 あのサックスですら疑いを持つほどに不誠実な人間だった自分が今更何をしたところで、再び信頼を勝ち取れるとはクラーリィには思えない。そりゃあ可能性はゼロではないだろう、努力し続けていればいつか必ずそんな日もやって来るだろう。
 けれど、その前に破局がやって来るような気がする。クラーリィはそんなこと考えたこともなかったのに、実際サックスとクラーリィの間にはクラーリィには気付けない大きな溝があった。見えない足下を探って、溝へと落ちてしまえばそれでおしまい。やって来るのは呆気ない破局だ。もともとあやふやな立ち位置にいる二人、くっつくことは相応に難しかったが、恐らく離れることは容易い。
 そしてクラーリィには、仮に破局するかもしれない状況に追い込まれたとしても自分がサックスを引き留めている姿がどうしても思い浮かべられなかった。こんな二人のままで爺さんになりたいなんて恐ろしく楽観的な考えだけは持っているのに、必死になって彼を引き留めようとかそういう気概はないらしい。

 背後に人の気配を感じ取ってもクラーリィはじっとしていた。ここは確かに数少ないクラーリィの逃げ出し先の一つであるが、元はといえば最初に発見したのはサックスの方だった。彼が「他の奴らには内緒だぜ」と教えてくれた場所の内の一つ。
 ざくざくと足音が近付いてきて、やがてぴたりと止まる。たぶん背中から一メートルくらいの位置にいる。そしてその人物は、クラーリィの予想通りの声色で「見っけた」と言った。
「探したじゃねーかよ」
 クラーリィとは違いご機嫌は直ったらしい、サックスは遠慮なくクラーリィの隣に腰を下ろした。よっこらせなんて爺さんくさい台詞を吐き、同じく遠慮なくクラーリィの顔を覗き込んでくる。流石に顔を背けることは阻止したが、何となく気が乗らないクラーリィは視線が合わないよう逸らしてしまった。
「ご機嫌直りました?」
 クラーリィは黙っている。なんだか口の中が乾いて上手く言葉が出て来ない。胸の辺りにぐるぐると支えていてやけに不愉快だ。どんな顔をしてサックスを見ればいいのかクラーリィには分からない。
「返事してくれてもいいんじゃないかな? ……怒ってる?」
「いいや」
「じゃなんてこっち見ないの?」
「……」
 クラーリィは黙ってその辺の土を眺める。生い茂る雑草だとか、その奥に並ぶ不規則な木々だとか、それらが織り成す美しいグラデーションの森だとか。右奥に聳える太めの木ならこの歳になってもまだ木登りができそうだ、なんてところまで考えたところでようやく呆れたサックスの声が振ってきた。
「無視すんなよ」
 あからさますぎる、なんてサックスは文句を言う。現実逃避しかけていたクラーリィはようやくこちら側へ戻ってきたが、相変わらず何も言わないのでサックスにはご不満のようだ。怒ってるならそう言えばいいのに、と彼は口を尖らせる。
「いつもみたいに俺のこと罵ってくれて結構なのになんで黙ってるのさ。急に黙って『もういい』とか言って出て行くし。どこ行ったか分からなくてしばらく捜し回ったし。ようやく見つけたのに俺のこと無視するし」
 続けてサックスは「殴れば!」とか「叩けば!」とか言った。たぶん、クラーリィが怒って手を出すことを目論んでわざと腹立たしい言い方をしている。長い付き合いになるクラーリィにはそれくらいのサックスの腹の内は手に取るように分かる。一度手を出すというハードルを越えてしまえば後は楽だ。またさっきのように喧嘩になって、今度こそクラーリィは文句の程を口に出せる。
 けれどふて腐れたクラーリィは、サックスのそんな誘いに乗ってやらない。
「ちえー、流石にもう釣られないか。何だよ、俺の『本当に好きなのかよ!』がそんなにお気に召しませんでしたか」
 サックスは「ちょっと口が滑っただけじゃん」とか「本気で疑ってる訳じゃないし」とか言い訳を重ねてきた。一応、自分が直前に言った台詞がクラーリィの逃げ出した主な原因らしいということは把握しているようだ。

 クラーリィは顔を顰めて嘘だと言う。クラーリィの台詞の中身はともかく、彼はようやく会話らしい会話をしてきた。これでやっと会話が成立する、とサックスは密かに胸を撫で下ろす。
「嘘だおまえ、あの時しまったって顔してた」
「おまえが変な顔になったからだよ」
「変な顔ってなんだよ」
 口をへの字に曲げて、クラーリィはむっつりサックスを睨んでいる。いつの間にか腕が組まれていて、全体としてサックスを寄せ付けないトゲトゲとしたオーラを背負っている。
 先程クラーリィは「怒ってない」と言ったけれど、やっぱり怒っている、とサックスは思う。ただし言うとまた返事をしてくれない状態に戻りそうなので、言うのは止めておいた。
「なんか前置き長くなるんだけど……昔さー、俺たちよく喧嘩したじゃん。髪の毛引っ張ったりさー、取っ組み合いの喧嘩とかさー、あ、おまえがまだ一人称『ボク』だった頃のお話ね。コルちゃん来てからはたまに流血沙汰にまで発展してパーカスにマジで殴られたりとかしたね、おまえが強くなった」
「……」
「で、だから昔の話だ。俺何回もおまえと喧嘩した結果、おまえが泣く直前の空気とか一瞬する変な顔とかを察知できるようになったわけ」
「はあ?」と素っ気ないクラーリィの声。冗談抜きで、本気で不愉快に思っていそうな声色。知り合いレベルの人間ならクラーリィのこの台詞を聞くだけで震え上がってしまいそうだ。サックスは慣れているから、この程度なんて事ないけれども。
 同意できなかったとしても、もう少し可愛げのある疑問の呈し方なんていくらでもある。
「なんかあるっしょ、『うわ泣く!』っていうその一瞬が。で、おまえのそういう顔久しぶりに見たから俺は『やべっ』て思ったわけ」
「俺は泣いてない」
「泣かない代わりに逃げたけどな。探し出しても俺の話聞いてくれる気配ないし。なんかふて腐れてるし。俺に不満があるなら言いなよ。言わなきゃ分かんないよ。黙ってればその内伝わるなんて思うのは傲慢だぜ、クラーリィ? 俺とおまえは同一個体じゃない、そんなむっつり顔を披露されても、おまえの腹の内なんて永遠に分からないぜ」

 クラーリィは黙り込んだ。流石のサックスもクラーリィに逃げられたあげく会話すらまともにしてくれない現状がご不満だったようだ。元を辿ればサックスは今日一日、クラーリィとふざけていたかったのだろうし。それが正反対の結果になって、サックスも幾分不満を抱いているに違いない。
 クラーリィは何度か深呼吸をしながら返答を探して、結局「おまえの『本当に好きなのかよ!』がお気に召しませんでした」と呟いた。
「とてもお気に召さなかった上に、何と言い返してよいのか分からなくなったので、逃げました」とも。
「満足かよ」
「はいはいよくできました。そんでもって俺が悪うございました。で、クラーリィよ、つまるところ俺に疑われたのが癪だってこと?」
 サックスは釈然としない様子でクラーリィの反応を伺っている。小さめに丸まっているクラーリィとは対照的に足を投げ出し、上半身だけ捻った姿勢を保っているが、角度が宜しくないのか支える右腕が少しだけ震えている。
 クラーリィは渋々ながらも頷いた。損得勘定なるものをしてみたが、ここへ来てまで見栄を張ってもいいことはないとクラーリィは踏んだ。つい先程「言わなきゃ何も分からない」とのサックスのお説教を頂いたことだし。
「……ふうん。マジでそれだけなの? 俺ホントに本気で言ったわけではないけど。おまえが浮気とか考えたこともないし。俺おまえはそういう人間ではないと思ってるよ、おまえ口悪いけど。ナルシストだけど。裏表激しいけど。俺が馬鹿なだけかもしんないけど捨てられるとかもあんま考えたことないなあ。
 それに、おまえ俺のこと好きだろ? そんなん俺知ってるぜ? 俺は別におまえを疑ったりしない。おまえだって、俺がそんなに考え深い人間ではないってことくらい知ってんだろ。
 おまえがむかついてるのって結局、ちいとばかし自分に心当たりがあるからっしょ」
 随分さらっとした顔で酷いことを言う。クラーリィはこんな気持ちこそ「ぐうの音も出ない」と表現するのだとしみじみ思った。自分はどう反論すればいい。いや、反論法を探している時点でクラーリィの負けで、ここは恐らくサックスの言葉を素直に受け止めて反省するのが一番正しい。
 再び黙り込んだクラーリィの顔を眺めていたサックスは、ふと「なあ」なんてえらく気軽に声を掛けてきた。
 なんだよ、とクラーリィは応える。
「なんか腹減ったし、このあと飯でも食いに行く。一応俺、財布持ってるし」
 続けおまえ文無しだろと言われ、クラーリィは自然と自分の手元に視線を落とす。そりゃあ部屋から何の支度もせずに感情に任せて飛び出してきてしまったのだから着の身着のまま、手持ちはゼロ。腹に手を当てる。先程何やら怪しいクッキーを一通り食べたので死ぬほど空腹というわけではないが、付き合って食べに行く程度の空きはある。少し早めの夕食にしてしまってもいいだろう。
「ん」なんてどうとでも取れるような相槌を受け、サックスは迷うことなく「じゃあ決定な」なんて言った。
「何食いに行く。ご希望ある」
「ない。おまえの金だからおまえの好きなところにすれば」
「え、貸しじゃなくて奢りなの? ……まあいいか……んーじゃあ適当に歩いて美味そうなとところに入る」
 いいだろ、なんてサックスは同意を求めてきたがクラーリィは黙って頷いた。好きにすればいい、自分はサックスの後ろをとことこついていく。こんなところまでリーダーシップを発揮するのは疲れる。私生活くらい誰かの後ろにくっついて楽がしたい。
 それに、たぶんサックスは黙ってついていっても大丈夫な部類に入る。
「でさー」
「ん」
「俺のこと好き?」
「……ん?」
 何だよ唐突に、と思ってクラーリィが顔を上げると、隣のサックスはむっつり膨れていた。なんだよ、と彼は憤慨している。
「こういう時は流されて何となく肯定しちゃうもんなんだよ! なーに素に戻ってるんだよ、それじゃ駄目だろ!」
「何が駄目なんだよ訳分からん……」
「俺はこの後『無意識に俺のこと好きだって言えるんだから、心配するなよ、自信持てよ』っておまえを励ます計画だったのに! その疑問符要らない! 要らないよ!」
 クラーリィはしばらく半分口を開けた間抜けな顔でサックスの顔を眺めていたが、その内我に返って笑い出した。そういえば自分が恋人に据えたこの男は、このくらい馬鹿な奴だった。
 クラーリィが急に笑い出したので今度はサックスの方が呆けた顔を披露したが、こちらは回復にあまり時間が掛からなかったらしくすぐに釣られて一緒に笑い出した。たぶん、只でさえ素直じゃないクラーリィのご機嫌がようやく直ったとか安堵している。そうに違いない。
「さあて飯食いに行くか。仲良くお手々でも繋ぎましょうかね」
 よいしょとサックスが立ち上がり、ごく自然な手振りでもって座り込むクラーリィに手を差し伸べる。クラーリィはその手を取らずに自力で立ち上がって、その後に手を取るか否か左手をふらふらさせながら迷っていたが、痺れを切らしたサックスに半ば強引に手を掴まれた。
 こちらの顔も見ずに降りるよとサックスは言う。彼がそのままクラーリィの手をぐいぐい引いて進もうとするので、クラーリィは大人しくそれに引きずられることに決めた。


 町に戻った辺りで二人の手は自然と離れた。相変わらずサックスの方が先にずんずん進んでいき、若干反省モードのクラーリィは珍しく文句の一つも言わずに黙々とその後ろを付いていく。あの丘でぼうっとしていた時間はクラーリィの思っていたそれよりだいぶ長かったようで、町は既に夕食の準備に沸き立っていた。どこからともなく美味しそうな香りが漂ってきて、二人の空いた腹を刺激する。
 クラーリィはサックスのやや後方を陣取り、どこの飯屋に入ろうか迷っているらしい恋人の背中を眺めていた。だがそれもすぐに飽き、人通りの激しい町並みを眺めることに切り替える。偶にクラーリィの存在に気付いた部下が急に姿勢を正したりする光景を見掛けたが、如何せん人の総数が多いゆえにあまりこの二人は目立っていなかった。
 旧市街と最近建て直された新築の入り混じるこの区画は、自分が今いくつなのか混乱させる効果を持っている。あの角から小さなサックスが飛び出して来たって何もおかしくないような気がする。そうしたらクラーリィはきっと小さな彼が転ばないよう抱き止めてやるのに。
 引き寄せられるように近寄ったその角地に入っていたのはこじんまりとした雑貨屋だったようで、店先に手作りらしい雑貨が並んでいる。サックスに置いて行かれてしまうから立ち止まりはしなかったが、何となく興味に駆られてクラーリィは横切るついでに端から順繰りに眺めていた。その足が、ふと歩みを止める。目が合った、三等身くらいの自分と思わしき人形。きりりとした顔が逆に笑いを誘って、自分にしては随分親しみやすい顔をしている。
 クラーリィが付いて来ていないことに気付いて戻って来たサックスは、クラーリィが心を奪われている相手を見るなり「このナルシスト」と呟いた。
「欲しいの?」
「いや、別に」
「おー、ホルン様人形もあるんだな……シリーズものか」
 俺のはないなあ、なんて半ばクラーリィを無視した形で陳列棚を覗き込んだサックスは、人の気配に奥から出てきた店主の顔を見るなり「これください」と言った。
「え?」
「買ってやるよ」
 文無しだろ、とサックスは続ける。店主はクラーリィご本人の出現に目を丸くしていたがゆえに、あまりこの二人の話を聞いている気配はなかった。
 茶色の紙袋にぽとりと落とされて、クラーリィ人形はサックスの手の上へ。お釣りを貰い、どうもなんてにこやかに挨拶をしてみせたサックスは、その隣で言葉を失っているクラーリィをつつく。
「ホレ行くぞ」との声に弾かれたように、クラーリィは再び歩き出した。

 はぐれている間にサックスは今日の店を決めてきたようだった。クラーリィは先程からサックスの手の内にある紙袋ばかりを眺めていたから遣り取りを殆ど聞いていなかったが、どうもサックスが何度か来たことのある店のようだった。一応人目を気にしてか奥の方へ通され、サックスと向かい合う形で席に着く。メニューを眺めて、注文して、店員が去ったところでクラーリィは「それ」と紙袋を指差す。
「見たい」
「お家まで我慢なさい! ……とは、言わないであげよう、仕方ねえなナルシストだもんな」
 差し出された紙袋をひっくり返すと、重力に従いミニクラーリィがぽとりと机の上に落ちる。頭から落ちる形になったミニを立たせてやると、身を乗り出して覗き込んできたサックスが「意外とよくできてる」なんてコメントを寄越した。
「きちんとハチマキもしてるんだな。おう、名前もしっかり刺繍がしてあって涙が出てくるなあ。ただ顔がなー、おまえこんな可愛くねえよ」
 ぶつぶつ文句を言ってはいるものの、サックスはあまりマイナス方向の顔はしていないし、でなくばあんなにあっさり買ってしまうこともなかっただろう。どちらかといえば楽しそうだ。しばらくはクラーリィのことをナルシスト呼ばわりして遊ぶ気なのかもしれない。
 しばらく黙々と眺めていたクラーリィは、ふと思い出して顔を上げた。まだサックスに礼を言っていない。
「ええとサックス、その、ありがとう」
「おうよ」
「あと」
「ん?」
「……好きだよ」
 ぱたりと動きを止めたサックスがじっとクラーリィの顔を見て、それはもう瞳の中をキラキラさせているものだから、無意識にその瞳を覗き込んでしまったクラーリィは少々の笑いを堪えなければならなかった。いっそ目を背けたくなるほどにキラキラしているサックスの瞳の中に、小さな自分ともっと小さな三頭身の自分が映り込んでいる。
 きっとしばらくサックスは無言なので、クラーリィはその顔を黙々と眺めることにした。
 確かにサックスの指摘通り、クラーリィには少し一部における自信が足りなかったのかも知れない。そして、それを裏付けする言動も特になかった。反省する。これから先の改善と努力を要請する。
 厨房の方から焼き上がりのいい匂いが漂ってきた。二人のささやかな夕食が、間もなくこのテーブルにやって来てくれるはずだ。ぐうと微かに腹が鳴る。

 窓越しにかげろう夕暮れ時の景色を眺め、クラーリィはふっと息を吐いた。


 ***END



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