贈り物・1



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 机の上に一輪の花。ご丁寧に花瓶付き。一輪挿し用にしては大きめの半透明硝子の花瓶から、控えめに咲いた花が一輪こちらを向いて微笑んでいる。色の少ないこの執務室の中でやけに目に留まる。……昨日まではなかった筈だ。あれば確実に気付いている。
 はて、とクラーリィは考える。花瓶にも花にも見覚えがないことから贈り物だと思われるが、生憎心当たりがない。今日は何かの記念日だったかと思い返そうにも手掛かりはゼロ。カレンダーの今日の欄は真っ白だ。何かの祭日でもなし、近親者や勿論自分の誕生日というわけでもない。
 爆発物である可能性を考え距離を取った状態のまま魔法で透視してみたが、特にそのような悪意の籠った贈り物ではないようだった。差出人を示す何かがあるかと机に近寄り覗き込んでみたが、予想通り手掛かりは何もない。机は突如現れた花瓶と花の他に変化なく、荒らされた形跡どころかものの配置一つ変わっていない。
 クラーリィは一応パーカスに聞いておこうと思ったが、可能性は薄いだろうと踏んでいた。どこの誰の好意によるものか分からないが、こんな風に自己主張の一切ない贈り物をしてくるということは即ちクラーリィに好意を伝える気持ちはあっても何かしらの返答を期待したものではないのだろう。この部屋に入ったのだから目撃者の一人や二人はいるだろうし、そこから相手を探し出すのも難くはないだろう。やろうと思えばそう難しい話でもない、だが周囲に正体を聞き回ってはその気のない相手の好意を無下にしてしまうかも知れない。
 クラーリィは心の中で差出人に礼を言うと、普段通りの朝の日課に手を付けた。やがてやって来たパーカスに一応尋ねてみたが、やはり首を横に振られた。
 誰だか知らないが、いいものを貰った。丁寧な装飾の施された硝子製の花瓶は陽光を受けるとキラキラと煌めいて、色気のない書類ばかりの並ぶ机に美しい影を作った。

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 翌日やって来たクラーリィは真っ先に花瓶に目をやった。理由はドアを開けた瞬間の違和感。幸いにしてすぐにその理由を花瓶に拠るものだと気付くことができた。
 花瓶本体は昨日と全く同じ位置に鎮座しているが、それから顔を覗かせる花が一輪増えている。昨日のものと同じく満開にはまだ至らない控え目な花がちらりと部屋の様子を伺っていた。そして同じく部屋の中が荒らされた気配も物色された形跡も何もない。かといっておかしな魔法の匂いもしない。花が何かの目眩ましなんていう線も考えられなくはないが、まず部屋に何か爆発物や罠が仕掛けられた形跡はない。加え重要書類を放り出したまま夜を明かすようなヘマをクラーリィはしないし、相手の真意が機密情報の抜き取りである可能性も薄いように思う。正直クラーリィの執務室よりずっと楽に機密情報を盗み出せそうな場所がいくつもある。わざわざこの国一番の実力者の膝元を狙うなんて余程の馬鹿しかやらない。
 昨日は戸締まりに問題があったのかときちんと鍵を閉めて部屋を後にしたが、錠を破られた気配も勿論なかった。念のためクラーリィはドア付近にまで戻ってみたが、やはり鍵は無事。
 となると、この花の差出人はこの部屋の鍵を手に入れられるような人物なのだろうか……それともこの部屋の防護魔法の解き方を知っている実力者か? 流石のクラーリィも元通りに魔法を掛けられてしまっては察知が難しい。兵団上層部ともなれば、公開こそされていないが大神宮の部屋に使うべき防護魔法のレシピなどそこそこ簡単に見つけてしまえるだろう。
 やはり特定は難しい、と早々にクラーリィは諦めてしまった。悪意のないことだけはほぼ確定だ。気の緩んだ瞬間を狙われるかもしれないので注意を怠らずに励む必要はあるが、こんな形でこっそりとプレゼントを頂くのはクラーリィとて普通に嬉しい。相手が己の存在を誇示しようとしていないからか、普段より幾分嬉しさが増してすらいる。ゆえにクラーリィにはあまりその機会を潰す気はなかった。

 そしてクラーリィの期待通り、小さな花の贈り物は毎日続いた。花瓶に一本また一本と花が増えていき、同系色が多いものの絶妙にバランスの取れた花束へと成長を遂げた。あまり造指に深くないクラーリィだから的確な表現を探すことは難しいが、少なくとも美しいとは思った。派手でもなく、かといって落ち着きすぎているわけでもなく、無機質になりがちな執務室にこそ合う淑やかな花束の贈り物。どこの誰だか知らないが、差出人は中々に趣味の良い人物らしい。
 三週間もすると毎朝差出人にこっそりと礼を念じ、増えた花探しをしつつ成長していく花束を眺めるのが毎朝のクラーリィの日課になった。この分だと花束に向かって「やあおはよう」なんて声を掛ける日も遠くないかもしれない。

 ***

 ある深夜、急に気掛かりなことを思い出したクラーリィはこっそりと執務室に舞い戻った。そこまで急用というわけでもなかったが放っておいてはどうも寝付きが悪い。明日の朝急用が舞い込んでくるやも分からない、不安要素はなるべく排除しようとクラーリィは結論を出し、寝室を抜け出すことにした。
 しかしながらクラーリィは、執務室のドアを開けてすぐに明日の朝まで大人しく待てば良かったと後悔する羽目になった。増える花束イベントが日常に溶け込み過ぎて、差出人と鉢合わせる可能性をすっかり頭の中から抜け落としてしまったクラーリィが全面的に悪いだろう。部下に迷惑を掛けるわけにはいかぬとなるたけ気配を殺して執務室まで舞い戻ったのも悪かったかもしれない。
 真っ暗なはずの室内に仄かな灯。ちょうど花瓶の辺りを照らすそれは、虹色の光を纏いながら慌てて花瓶の後ろに隠れた。隠れたはいいが、硝子を通してぼんやりとその存在を主張していることに変わりはない。
 予想に反して、随分小さな差出人だった。
「……これは失礼を」
 クラーリィはそろりと花瓶に近付く。自分がちっとも隠れ切れていないことに気付いたのか、小さな来客は慌てて丸くなったり隠れられるところを探しているようだが、後の祭り。彼女が新しい場所を探し出して雲隠れするより早く、近寄ってきたクラーリィと目が合ってしまった。
 たぶん、妖精だと思う。こんなにも微弱な魔力ならばバリアの薄っぺらい所を探せば割かし簡単に忍び込むことが可能だろう。鱗粉を撒き散らさないよう自慢の羽を畳んでいるのが健気で泣かせる。
「君は妖精? これの差出人は君?」
 彼女はそっと花瓶の端から顔を出し、一度首を縦に振ったあと今度は横に振った。
 クラーリィはじっと花瓶を見つめる。昨日より一本増えているようだ。この状況からいってもやはり持ってきてくれたのは彼女に間違いないだろう。ただ、彼女は直接の差出人ではないらしい。
「誰かに頼まれたのかい?」
 彼女は遠慮がちに頷いた。そしてそろそろ下がる素振りを見せる。
 帰りたいようだ。是非とも差出人について聞き出したいところだが、彼女にクラーリィとお喋りしてくれるつもりはないらしい。
「……ありがとうって、差出人に伝えておいて」
 畳んでいた羽根を数度はためかせ、拍子に鱗粉が煌めいては消える。それが彼女の返事代わりだったようで、やがて空気に溶けるかのように消えてしまった。
 残された空間に、きらきらと煌めく忘れ物の鱗粉。けれどこれもすぐに失われてしまうだろう。これまでは毎日羽根を折り畳んで極力気付かれぬよう努力していたようだ。

 残された花を眺め、クラーリィはふっと息を吐く。差出人について問い質したい……とは思ったが、妖精というキーワードが強力すぎてだいぶその正体が絞られた。一番無難な線は妖精大国・グローリアの人間。その中の、クラーリィに好意を持っている奇特な人間が差出人の正体。
 もっともクラーリィと知り合い以上の関係にあるグローリアの人間なんて五本でも優に足りるほどしかいない。……というか、ハープ・シコード一人しかいない。
「……あいつか……」
 妖精が見付かれば一発で己だと確定されると、シコード側も分かっているだろう。何の記念日でもないのに毎日毎日ご苦労様なことだが、この際是非ともその理由を聞いてみたい。どうせ贈るにしてもクラーリィよりも未来が楽しくなりそうな人物はたくさんいるだろうに、なにゆえクラーリィを選んだのか。正体を素直に明かしてくれれば礼の一つも言ったのに、頑なに隠そうとしたのはなぜか。
 夜が明けたら連絡を取ろうとクラーリィは考える。どうせ今頃、あちらはあちらで「とうとう見付かった」と一騒ぎしていることだろう。

 ***

 仕事が一段落したところでクラーリィはシコードへの連絡を試みた。無論もっとももらしい理由を探しておくのも忘れない。差出人が十中八九シコードであるというのは所詮憶測に過ぎないし、万が一外れていた時の逃げ道を確保しておいた方が後々の為になる。
 しかし通信に出たシコードが開口一番「バレたか」と口走ったので、それらの心配は杞憂に終わった。余程のことがない限り連絡なんて部下にやらせておくのに、珍しくクラーリィ本人が連絡を入れた時点でシコード側が確信に至ってしまったらしい。
「……一応真面目な話も用意してあるんだが」
「どうせおまけ程度のつまらん話だろう。まあいい、先にそれを聞こうか」
 花を贈ってきた癖にあまり優しくない、とクラーリィは思う。しかしながら画面の向こうのシコードは頬杖までついて早くしろの一言を節々から漂わせてくるので、何か文句を付けるのはやめておくことにした。
 シコード曰く「おまけ程度のつまらん話」をクラーリィは片付ける。まあ、彼の言うことは間違ってはいない。別の目的がなければこんな用のためにわざわざクラーリィ本人が連絡を付けるようなことはまずしない。
「了解した。クラーリィ、おまえどうでもいい用件をわざわざ探し出したな」
「否定はしない。だって、間違ってたら恥ずかしいじゃないか。……シコード、おまえだよな、毎朝俺の部屋に侵入して花を置いてったのは」
「言い方が気に食わんなあ」
 クラーリィは一応「誰に侵入されたのかとはじめの数日は不安だったんだ」と口を尖らせる。贈り物に悪意がないことはなんとなく分かっていたが、確証は何もなかった。不自然なほどに何の痕跡も残していってくれなかったから、己を暗殺しようとしている者や重要書類を狙う不埒な輩かもしれないと気を揉んだことも事実だ。その点シコードならそんな姑息な手を使うことはないと分かっていて安心できる。
「なぜこの時期に?」
「もうすぐおまえ誕生日だろ」
「……まあ、そうだが」
「誕生日まで毎日花が届くなんてワクワクするだろう」
「……」
 それにしたって開始日から考えるにひと月先の話だ。こうして毎日花を届けることを続けていればいつか誕生日に到達しはするだろうが、最初の方に貰った花はたぶん枯れてしまう。
 それにシコードはただの異国の友人で、ひと月もかけて誕生日のお祝いを貰うほど仲良くはない……気がする。分からない。シコードはそのつもりだったのかも。だとすると少し、クラーリィはばつが悪い。
「そ……そんな、ひと月以上も手間暇を掛けて」
「嬉しいだろう?」
「そりゃあな? ……おまえ、誰にでもこれやってるのか」
 いいや、とシコードは言う。
「そこまで暇を持て余している訳ではないぞ。馬鹿にして貰っては困る」
 クラーリィはしばらく黙った。別に馬鹿にして言っている訳ではない。強いて言えばそんなに仲良かったっけ? と少々狼狽えているくらいだ。花を頂いたことは感謝しているし……あ、礼がまだだ。
「今日来た妖精さんには伝えてくれるよう言ったんだが……まだ礼を言っていなかった。ありがとうシコード。誰にでもやっている訳でもないのに俺をチョイスした理由がよく分からんが、感謝している。執務室によく似合っているよ。今となっては悔しいが差出人は趣味がいいなと思っていた」
「そうか。それはどうも」
 それきりシコードは口を開かない。クラーリィは先程の台詞にこっそりと「俺をチョイスした理由を知りたい」と織り交ぜたつもりだったが、シコードには伝わらなかったようだ。
 あるいは、意図的に無視されているか。

「シコード、あの、俺をチョイスした理由は?」
「あ、すまん仕事が入った。またな。明日の朝をお楽しみに」
 クラーリィが何か言う間もなく一方的に通信を打ち切られた。ぷつんなんて軽い音を立てて真っ黒になってしまった通信画面を呆然と眺めながら、クラーリィはしばし目を丸くする。
 仕事が入ったなんて嘘に決まっている! 顔に嘘だと書いてあった。話を逸らすいい理由が思い付かなかったので一方的に打ち切ってしまったに違いない。
 言えないような理由なのかと考えてみたが、ろくな理由が思い付かなかったのでクラーリィはそれ以上考えるのをやめた。もともと異国の友人であるし、交流を持ってから顔に似合わず随分変な男だと思ったこともあったし、正直常識知らずだと罵倒したくなったことも何度かあったし。
 何にせよ、どうも誕生日当日まで続けてくれるらしいので有り難く受け取っておこう、とクラーリィは考える。もしや明日の朝何らかの変化があるかも知れないが、それはそれ。機を見てパーカスに正体はシコードだった旨も報告しておこう。ホルン様に伝えれば、案外彼女はクラーリィに心優しい異国の友人ができたのだと喜んでくれるかもしれない。人の良心を信じて生きているホルンのこと、少しは不審に思うかもしれないが、きっとシコードの好意を純粋に受け止めてクラーリィと共に喜んでくれるはずだ。
 まあいいか、なんて呟いたクラーリィは時計を見やる。残念なことにもう少しで休憩時間が終わってしまう。これ以上の寄り道はせずに戻った方が良いだろう。
 クラーリィはぼんやりと明日のことを考えながら執務室に戻った。

 ***

 次の日も、そのまた次の日も、正体の発覚する前と全く同じように花が届いた。バレたことだし記名入りのメッセージカードでも届くかと思いきやそんなことは一切なく、相変わらず毎日無言で花だけが届く。
「理由くらい教えてくれたっていいのになあ。隠されると余計気になる法則だな……」
 一度聞き出そうとしてあからさまに避けられたことだし、再びどうでもよいことで連絡を取って問い質すのも何だ。どうせはぐらかされて終わり、教えて貰えないに違いない。

 差出人のことをパーカスに話したら、彼は困った顔をして黙ってしまった。発端は好意であっても実際施錠されている部屋に深夜こっそり忍び込まれているのは事実。しかし相手が相手なだけあり、安易に止めるよう要求することも難しい。
 話さない方が良かったかな、と思っても後の祭り。一応「シコードはそんな姑息な手は使わないと思う」と微妙なフォローを入れてみたが、効果の程は疑問だ。

 結局誕生日前日まで一切シコード側からの花以上のコンタクトはなく、クラーリィにとって大変都合のいい、理由の聞き出しの方をおまけと言い張れるような重大な連絡事項も舞い込んで来なかった。

 ***

 誕生日当日、クラーリィは友人たちの騒がしい声に起こされた。わざわざ人の寝室に侵入していの一番にプレゼントを渡しに来てくれたらしい。この年になっても誕生日プレゼントなるものを貰えるのだからクラーリィは幸せ者だ。
「……おはようおまえら」
「ようクラーリィ。もう少し嬉しそうな顔をしたって罰は当たらないんだぜ」
「耳がキンキンする……」
 若干頭を押さえているクラーリィの様子など全く無視して、友人たちは包装された箱をぽんぽんベッドに積み上げる。まだ中にクラーリィが入ったままだというのにその足の上にまで積み上げる。
 どいつもこいつも朝から仕事が入っていて、ゆえに仕事に支障の出ない早朝を狙って来たのだと分かってはいるが、やっぱり部屋の主を差し置いて朝から喧しい。
「じゃっ、また後でな!」
 そして苦言を呈す間もなく、幼馴染みたちは一目散に退場していってしまった。これ以上居座ればただでさえ寝起きでテンションの低いクラーリィの機嫌を崩してしまうと踏んだのだろう。
 クラーリィは実に良い友人を持った。
「重た……いてて、いてててて!」
 箱の角が素足に当たって痛い。クラーリィは箱相手に「退いてくれ」だとか独り言を呟きながら身を起こす。たぶんコルがどこかで待ち伏せしている。我が妹ながら彼女は行儀がいいので、幼馴染みのように寝室まで侵入したりしない。
 あまり待たせないように、クラーリィは早めに支度を済ませて部屋を出ることにした。



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