窓の外



 ***


 サックス、と声を掛けられた。
「はい?」
 真面目なんだかプライベートなんだか微妙な声色のクラーリィ。顔色を窺っても変わらず中間を保っていて、サックスは残念なことに一瞬で公私どちらの用で呼び止められたのか分からなかった。
 なにと言うべきか、なんでしょうと聞き返すべきか。
 口を半開きにした状態のまま黙ってしまったサックスに、クラーリィは「おい」と眉を寄せる。
「返事の一つくらいしたらどうなんだ」
「いや、返事はしたよね。しました。しましたよ」
 それが十分なものかと言われると上手く返事ができないものの、反応そのものは確かに返した。そんなちっこいことで怒るなよ、とサックスはクラーリィを宥めにかかる。
「俺が悪うござんした。……で、用件を聞こうか?」
 こんな些細なことで喧嘩するなんて面倒くさい。どうせクラーリィは先程のサックスの顔があまりにも阿呆だったからとかそういう理由で腹を立てかけていたのだ。と、いうことは彼の用件はそこそこ真面目なものだったに違いない。
 クラーリィはサックスのデスクまで寄ってきて、手元の手帳をぺらぺらと捲っている。
「おまえ、どうせ二四日辺りは予定空けてあるんだろう。だろ?」
 今は肌寒い師走。スフォルツェンドにもとうとう雪が降った。スフォルツェンドの古い石畳を、真新しい雪が埋め尽くす様は何度見ても美しい。今月の二四日とか二五日とかいうのは異国のお祭りの日だそうで、お祭り好きのスフォルツェンド民は例によってそのおいしいところだけを有り難く戴いている。異国では家族と過ごす日らしいので、サックスたちは毎年幼馴染み連中と寄って集ってパーティーを開いているのだった。それぞれの家族や、兄弟姉妹や、あるいは近所の人なんかも呼んで盛大に。ただ、ここ近年はクラーリィが忙しいこともあって縮小傾向だ。幼馴染みの十人とその親族の数人と、あとはクラーリィにコルくらい。それでもこの人数が一堂に会することは貴重な瞬間だ。
 幼馴染みの中には先の大戦で家族を失った者も多い。クラーリィなんぞその最たる例だ。両親を失い、彼は妹と二人家族。だからこそ「家族と過ごす日」はぱあっと盛大に、楽しくやりたい。
「二五日の夜はみんなとパーティーですけど、それ忘れてないよねクラーリィ君?」
「ああ、だから、二四日かな。二四日の夜」
「そこなら空いてる」
 クラーリィの用件はなんだろう、とサックスは考える。この流れからいって二五日に向けて何かサプライズでも仕掛けようとしているのだろうか。それで、サックスをその共犯に巻き込もうとしているとか。
 サックスは頬杖をついてクラーリィの顔を見上げる。彼は相変わらず手帳の方に気を配っているようだ。
 あるいは、ごく単純に恋人に向けておでかけのお誘い。だったらいいなあなんてサックスは考えるものの、期待は薄い。翌日大騒ぎして夜更かしすることが目に見えているのに、その予定を狂わせるようなイベントをクラーリィが入れるわけない気がする。
 やっぱり二五日に何かサプライズでも仕掛けたいのだろうか。
「何か買い物でもする?」
「ん? いや、単純にデートのお誘いだ。空けとけ」
「えっ」
「聞こえなかったか? 空けておけよ」
 分かったか、とクラーリィは念を押す。サックスはしばらく目を丸くして黙っていた。こっそり冷たい手先でもって反対側の手の甲をつねって、痛いことを確認してから「うん」と言う。
「分かった……」
 はっきり「デート」と明言するだなんて珍しいだとか、堂々としててやけに格好いいだとか、そういう感想が浮いては消えた。それでもって、驚きの後からゆっくりと今度は喜びがやって来た。クラーリィの方からこんなお誘いをしてくれるだなんて、彼も随分優しくなったものだ。成長してくれたなんて表現も似合うかもしれない。いつもいつもサックスの方ばかりが気持ちを押しつけているのではないかと不安になる夜もあれど、こういうアクションを取ってくれるとそれだけでもサックスの不安は和らぐというもの。
 でもそれも長くは続かなかった。サックスは思い出してしまったのだ。
「あ、ああそっか。そうだ。別に集合場所が執務室でも、やることがお仕事でも、別にいいんだけども、せめて二人っきりでお願いしますよ。大神官様」
 せめて二人っきりで、とサックスは繰り返す。クラーリィは先程までの真面目な顔をどこへやったのか、したり顔でニヤリと笑った。
「バレちまったか」
「ぬか喜びが憎い、クラーリィ、通り越しておまえが憎い」
 そういえば今は休み時間なだけで勤務中なのだった。クラーリィがそのような時間にプライベートのお約束を持ち出してくる訳がない。これは最初からクラーリィのつれないサービス残業のお誘いなのだ。
 そんでもってその理由が二五日に綺麗さっぱりパーティーに参加できるようにとかそういう理由だ。サックスに断る道理はない。クラーリィに遊んで欲しいのなら、二五日に恋人の笑顔が見たいのなら、サックスも頑張らなくてはいけないとそういうお話だ。
 しかも、クラーリィはサックスがこのお誘いを絶対に断らないことを既に知っている。いっそ卑怯だ。
 ただ「パーティー行きたいから仕事手伝って」と言えばいいところを、クラーリィは「デートしよう」なんて飾り付けた言い方をする。期待を持たせる悪い言い方と言うべきか、それともサックスに夢を持たせる可愛げのある言い方と評するべきか、サックスには生憎のところ判断がつかない。
 ふて腐れるサックスを見越してか、クラーリィは若干の弁解に回った。いいじゃないか、なんて彼は呟く。
「俺一人で残業寂しいよ。終わらせられるか不安だよ」
「最初からそう言えば俺はキラキラしたりしなかったのに。それどころか素直に『いいぜいいぜ手伝ってやるぜ』って優しかっただろうよ」
「キラキラするおまえ見るの好きなんだ。その後騙されたと知ってぷんすかしてるおまえはもっと好きだ」
「ヤダよこの性格。人ががっかりするところ見て喜んでんだから」
 ベクトルは少々違うものの、やっぱりクラーリィはコルの兄だとサックスは思う。べったり甘やかして育てた結果ああなったのだから、コルの現在の性格には多分にクラーリィのそれが影響しているに違いないのだ。コルと同じようにクラーリィだって化けの皮が厚いだけ。そうに違いない。
「じゃあ、二四日。よろしく頼むよ」
「へいへーい」
 機嫌直せよな、とクラーリィはサックスの肩をぽんぽん叩いてきた。人の純情を弄んでおきながらこの仕打ち。いつか刺されても俺は知らない。

 席に戻ったクラーリィは再びきりりとした顔で仕事と向き合っていた。やっぱり格好いいなあ、なんて思いながらサックスはため息を一つ。あの顔を見るとどうにも怒りが雲散してしまう。あの格好いい面の下にあるものが先程の酷い輩で、なんでも一人でこなしてしまいそうな彼の本心が「寂しい」だとか「手伝って欲しい」だというのなら、サックスは己の全力でもって彼のサポートに回りたい。
 サックスが「俺ってクラーリィのこと甘やかしているんだろうか」なんて考えている間も、クラーリィはてきぱきとタスクを端から順に消していく。

 ***

 夕方一度引き下がってから、夜になって再び執務室に現れたサックスを待っていたのはやけに朗らかな顔をしたクラーリィだった。
「よっ」と彼は言う。
「こんばんは。……こんばんはぁ」
 サックスはがっくり肩を落とす。クラーリィの楽しそうな顔がぐさぐさ胸を突き刺して已まない。普段サックスと二人っきりでいるときもいつもこういう顔をすればいいのに調子のいい奴だ。
「なんだそんな浮かない顔をするなよデートだろデート。デートの本質は相手と楽しい同じ時間を共有することだ。違うか? と、いうわけで楽しくやろうじゃないかサックス君」
「俺クラーリィの隣座る。五分に一回おまえの顔見つめる。むしろおまえの顔見ながら仕事する」
「はいはいどうぞどうぞ。何しようが俺の勝ちだよ」
 楽しい同じ時間を共有ねえ。クラーリィのやつ言うことだけは正論でむかつく。クラーリィのことだから、きっと以前サックスが「おまえと一緒に仕事できて嬉しい」とか言ったのをしっかり覚えているに違いない。
 さあ座れ、とクラーリィは促す。サックスが渋々腰を下ろすと、何か言われる前にクラーリィはその隣の席に座った。二人しかいない執務室に寒色の蛍光灯が煌々と灯されていて、背景代わりの本棚には影ができる隙間もない。たぶんあのカーテンを開けたらスフォルツェンド城下の美しいイルミネーションが見られることだろう。
 この仕事終わったらクラーリィと一緒に眺めてみよう、とサックスは思う。時間によってはもう消えちゃうかもしれないけれど、目標の一つくらいは立てておいた方が仕事がはかどるかもしれない。
「じゃあ、ハイ、これ」
「ん。……って、え、これだけ?」
 クラーリィから手渡されたものはごく少数だった。こんなものわざわざ居残りしてやるまでもない。日中の休憩時間を若干削れば終わらせてしまえるだろう。
 他はどこにと問うサックスに、クラーリィはあっさり「それだけ」と返す。
「……はい?」
「それだけ。しか残らなかった。俺って有能だなあ」
「えっ、ごめん、俺どこから突っ込んで良いのか分からないや」
 わざわざ数日前から念を押して空けさせておいたのにこの結果なのかとか、一応「俺って有能」には突っ込んでおかなくてはならないかなとか、でもクラーリィが有能なのは事実だしなあとか、サックスの頭はぐるぐるしている。しかしここで「もっと仕事よこせ」なんて言いたくないし、そんなこと言ったら本当に出てきそうで怖い。
 そして、一番サックスの心に引っ掛かるのは「残らなかった」の一言だ。なんだかクラーリィの微妙なニュアンスを感じるのだけれど、それが何なのか今のサックスには分からない。
 結局サックスは「説明お願い」と白旗を揚げた。
「なんの?」
「これしか残らなかった理由について、とか」
「だってなんかおまえが予想外に憤慨してるから、あ、なんか悪かったかなと思って量減らそうと俺は頑張ったわけだ」
 はい、とサックスは相づちを打つ。これだけで大体の憶測は付けられる。
 クラーリィはサックスと同じくちょっぴりしか残っていない書類を前に頬杖をついている。ちっともサックスの方は向いてくれない。
「そしたら頑張りすぎてこんだけしか残らなかったとそういう話」
「別に俺『憤慨』なんて大層なことしてなかったよ? おまえが人使い荒いのなんて今更だし」
 クラーリィはサックスを怒らせたものと思って量を減らしてくれたらしい。別に嬉しくないわけではないが、そんなに頑張ってくれなくても良かった。ちょっとやそっと寄り掛かられるくらいなら、むしろサックスにこみ上げるのは頼りにされている喜びとかそういうものだ。
 なんだかんだいって、サックスは今夜クラーリィと罵倒しつつ喧嘩しつつ仲良くお仕事することを楽しみにしていたらしい。その他の人間の目がないのならどんな話だってできるし、敬語を使う必要もないわけだ。実に自由、手さえ動かしていればサックスはクラーリィとどんな話でもできただろう。
 早速サックスの目論見が外れつつある。
「クラーリィ、この量ならたぶんすぐ終わっちゃうけど」
「おおっ、俺の部下は有能らしい」
「いやおふざけじゃなくて。ホントにすぐ終わっちゃうよ。そしたら、あの、どうするのかな……」
 サックスの言葉の意味が本当に分からなかったらしく、クラーリィはじっと首をかしげてこちらに視線を送ってきた。続きを話せということらしい。
「えーだからその、終わったらまさか素直に解散? するの?」
 間を置かずクラーリィが「はっ」と吹き出した。サックス側は真面目に訊ねていたのに実に失礼だ。ただ、彼は多分サックスの言葉の裏側まで読んだ上で笑い出したのだと思う。
「ご期待結構結構。そうだな、答えはやるべき事をやった後だ」
「くっそむかつく……すーぐ終わらせてやる見てろよ」
 ぎりりとペンを握りしめるサックスを、クラーリィはそれはそれは楽しそうに眺めていた。サックスが目の前のタスクに取り掛かったことを確認してからクラーリィは手元に視線を落とす。
 きっと頑張らないとサックスの方が先に終わらせてしまうだろう。でも、勝ち誇ったような顔をするサックスを眺めるのも一興かななんてクラーリィは考えている。そして、こんな余計なことを考えながらやっているのだから、やっぱりサックスに負けてしまうのだと思う。



「おまえ遅い。とても遅い」
「俺今雑念だらけだからな。まあ言い訳だが」
 予想通り先に片付けたのはサックスだった。とても遅いとか口を尖らせているが、終わった時分にクラーリィ分がまだ片付いていないことに気付いた彼は黙って手伝ってくれた。だからこれはこれできっと照れ隠しなのだと思う。
「……ありがとう。助かった」
「おやっ、俺はてっきり……あ、まあいいや」
 どうせサックスはクラーリィにいろいろ文句を付けられたり、あるいは今後の楽しみのために早めに終わらせたと冷やかされたりするだろうと考えていたのだろう。言わなくても分かる。
「たまには素直に礼を言った方が可愛げってものがあるだろ? 優しくしてやりたくなるだろ?」
「俺いっつも優しい。おまえに言われる筋合いはない」
「……そだな。そうだった」
 サックスは立ち上がると、できあがったものをまとめて奥のクラーリィ用の机に置きに行った。これで完璧だ。これで明日はほぼ何の問題もなく二人ともパーティーに出席できる。
「俺が思うに、おやすみするにはまだ時間があるんじゃないかと」
「俺もそう思うよ」
 サックスはクラーリィの待つ席には戻らず部屋の隅へ移動した。隅まで行って立ち止まる。窓が大きいからかもしれない、断熱があまり効いていないのか、部屋の中央より幾ばくか肌寒い。
「こっちおいでよ。窓際」
 サックスの言葉が予想外のものだったようで、クラーリィは若干の疑問符を浮かべた顔で素直に窓際に寄ってきた。サックスは黙ってカーテンを開ける。
 眼下に広がるのは、スフォルツェンドの町並み。人の息吹を指し示す、無数の灯り達。あの灯りの数だけ人がいて、家族がいて、人生があって、物語がある。そしてたぶん、あの灯り一つ一つが、クラーリィやサックスたちが背負っているものだ。
 綺麗だね、と一言。
「……ああ、……うん。綺麗だ」
 両手を冷たいガラスにつけて、おでこまでつける勢いでクラーリィはじっと外を眺めている。部屋の灯りが邪魔なのだろうとサックスは照明を消した。途端に町並みが見易くなる。クラーリィは動かない。
 じっと、クラーリィは何も言わずにただ外を眺め続けている。
 邪魔をする気のないサックスは同じく黙って隣に立った。似たような立場とはいえ、クラーリィはサックスよりも多くのものを背負っている。この光景を眺めてどんな感想を彼は持つのか、想像しやすそうで実は難しい。
 クラーリィの瞳には、サックスと同じようにはこの光景が映っていないかもしれない。
「おまえ、もっと邪心に溢れてるのかと思ってたよ。情緒があるな」
「口を開いたらそれかい」
「なんて言ったらいいのか分からないんだ。俺、こういう時にぽんと夜景を見せてくるおまえが好きなんだと思うよ。たぶん」
 あまりの不意打ちに「んっ」とサックスが詰まって、何か言い掛けて舌を噛んで変な声を出して、慌てすぎて若干咳き込みまでして。一連の動作を見守っていたクラーリィはあきれ顔で背中をさすってくれた。
「おまえがこういう反応するから俺はいっつも黙ってるんだよ」
 ごめんね、と謝るのがサックスの精一杯だった。そうか。ならば慣れるためにもサックスは少しばかり心臓を鍛えなくてはならないらしい。身体から心臓が飛び出していくかと思った。

 背中をさすり終えたクラーリィが黙ってサックスの手を握ってきた。同じくサックスも黙ってその手を握り返す。
 随分長いことガラス窓にくっつけていた指先はだいぶ冷えていて、サックスの手のひらからじんじんと熱を奪っていった。


 ***END



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