呪縛



 ***


 おまえなんて嫌いだ、とクラーリィは思った。もう無理だとすら思った。こいつの訳の分からない冗談に何度己は振り回されてきたのだろう。かと思いくだらないと一笑に付せばなぜかその時に限って彼は大変に真面目で、「人が真剣にお願いしているのに」なんて言ってふて腐れる。
 そして今日もまた、彼は謎の多い一言をぽつりと呟く。まさかシコードは己の愛情の深さを計ってでもいるのだろうか、とクラーリィは項垂れる。何度も試すような真似をして、クラーリィを思考の崖っぷちまで追い詰めて、答えをクラーリィから引きずり出そうとしている。ここまでなら受け入れられるとか、ここまでなら受け止められるとか。
「縛らせてくれ」と、シコードは言った。
「……何を?」
「おまえを。好きだろう、そういうの」
「殴るぞ?」
 訝しげなクラーリィに対し、あくまでもさらりとシコードは言ってのけた。ひとまず、悪意はないと思う。言い方が悪いだけで、シコードがやりたいから言っているだけだとも思う。
 けれど、己のこの胸を苦しめる感情は一体何なんだ、とクラーリィは顔をしかめる。不愉快だ、どうも居心地が悪い、胸の奥の方に蟠りのようなものが蹲ってこの場から動いてくれない。
 この感情をひとまとめにして口から外へ出せば、それはきっと「おまえなんて嫌いだ」という形を持つと思う。

 シコードは返事をせずに、じっとクラーリィのことを見ている。最後に発言したのはクラーリィだが、彼は更なるクラーリィからの言葉や動作を待っているのだろうか。あるいはただじっと眺めているだけ、シコードの表情からそれは伺えない。
 クラーリィは一言「嫌だ」と返した。
「けちけちするな」
「嫌なものは嫌だ。断る」
 何がけちだとクラーリィは吐き捨てる。シコードは台詞の割にあまり下手に出ているような態度ではないし、本気でお願いしているようにも見えない。かといって、クラーリィの反応を楽しみにふざけて言っているわけでもないのか、その表情や動作からは冗談っぽさがちっとも伺えない。
 彼の絡みつくような冷たい視線が、やけにクラーリィの心を波立たせる。
「いいじゃないか」
「断る!」
 我慢しようと思っていたがどうにも制止が効かず、クラーリィは言葉とほぼ同時に手を振り上げてしまった。
 シコードならば絶対に避けられる。だから避ければいいのに、シコードは避けなかった。むしろ、避けてくれなかった。
 鈍い音が響く。クラーリィの握り拳は狙ったとおりにシコードの頭にヒットした。
「……痛い」
 頭をさするシコードの姿にクラーリィの良心がちくりと痛む。わざと殴られたのだから、シコードにはそれなりの己が殴られて然るべきだという理由がなんとなくではあれ分かっているのだろう。
 こんなことをしたかった訳ではないが、こうなるともう止められない。頭の隅っこに「もう少し大人になれよ」なんて自分の声が聞こえてくる始末だ。ただ、それもブレーキにはなってくれない。
 クラーリィは息を吸い込む。
「自業自得だ馬鹿者。人を馬鹿にしやがって」
「していない」
「うるさい」
「そっ……」
 珍しく食い下がる様子を見せたシコードだったが、その言い訳に耳を傾けるほどクラーリィの心に余裕は残っていなかった。
 俺は、とクラーリィは息を吸い込む。
「俺にはおまえの、俺の様子を窺うその視線が耐えられない。やめろ」
 シコードは何の反応も寄越さなかった。先ほどまで弁解しかけていたのが嘘のようだ。普段通り、ぴたりと静まってクラーリィの言葉に耳を傾けている。
「ここまで愛情を感じない視線というのも俺は珍しいとすら思うよ。おまえにとって俺は何だ。おまえのそれ……まるで興味のないおもちゃを眺める子供のに似てる」
 そもそも興味がなかったり、遊び飽きたり。だから床に転がっていても、それが壊れて遊べなくなってしまったとしても、手を伸ばすこともなければ悲しむこともない。
 少なくとも、恋人を名乗る相手に対して送る視線ではない。
 しばらくして、シコードは音を上げたのか謝ってきた。意味がよく分からない、と彼は言う。
「……たとえ話がへたくそで悪かった」
「いや。悪いのは理解できない私の方だろうと思う。おまえの表現がどうこうという話でもないだろう。済まないね」
「……」
 クラーリィは返事の代わりにシコードを眺めてみる。少なくとも今の言葉に嘘はなさそうだった。きっと彼には本当にクラーリィが不愉快に思った理由が分からないのだ。こうして口にしても伝わらない。具体的な表現のできないクラーリィにも問題はあるが、仮にうまく言い表すことのできる言葉を見つけたとしても、それでシコードが理解を示してくれるかどうかは怪しい。
 ある意味、住んでいる世界が違うのだと思う。
「……分かった。もういい」
 これ以上どんな話し合いをしても進展はないとクラーリィは悟った。そういう話題は諦めるに限る。確かに不愉快ではあるけれど、かといってその他の点がすべて霞む程の不愉快というわけでもなく、この点一つのために他のものを捨てる気には幸いにしてならない。
 自分がいくら言ったところで、シコードが変わるわけないということも分かっている。
「いい、と言う割に、不服そうだが」
「満足したのではなく諦めただけだ。何を言っても結果は同じだろう。これ以上は趣味じゃない」
 シコードは困った顔をして突っ立っていた。
 クラーリィはそれを一瞥して、しばらく動かなそうだと判断すると一人で勝手にソファに座った。生憎「座れよ」と彼に声を掛ける勇気は出なかった。

 その変わらない表情の下で何を考えているのか、たまにクラーリィは空恐ろしく感じることがある。
 ことの発端は彼の「縛らせてくれ」という不意打ちにも程があるお願い。まとっているものは、冗談なのか真剣なのか、判断に困る気配。
 けれど、これまでの付き合いからなんとなく察しはついている。シコードが軽そうに尋ねてきたのは、クラーリィが「いいよ」と言わせ易くするため。内容の割に冗談を言っているように見えなかったのは、少なくともこれはシコードが愉悦を感じるための行動ではなかったから。クラーリィの反応を見ていたにも関わらずその視線から好意的なものを感じなかったのは、その通り彼に好意がないから。
 そして、わざわざ要らぬ「好きだろ」の一言を付け加えてクラーリィに反撃の隙を与えてしまったのは、シコードが心のどこかで止めて欲しがっていたから。その余計な一言さえなければクラーリィが素直に願いを聞き入れてくれることも、そのたった一言によって必ずクラーリィが「嫌だ」と言うことも、彼はよく知っている。
 要するに彼は単純に、己を害することだけが目的だったのだろうとクラーリィは思っている。捕虜のように縛り上げて、自由を奪った隙に胸を一突きすればそれで済む。クラーリィは恋人のおふざけだと思って油断しているし、きっと容易く成功することだろう。シコードは怪我一つなく願いを成就させられる。
 恐らく縛り上げた辺りで我に返るだろうとは思う。彼がレイピアを実際に振り上げる可能性は低いだろうと思う。クラーリィに反論させたシコードには、悪意なき殺意と同じほどクラーリィへの慕情があることを知っている。
 ただ、無意識下にそう行動しかける彼を心の底から信じることは難しい。

 本当のところ、クラーリィの口から無意識に「おまえは俺の何だ」という問い掛けが飛び出てしまったのは、迷うことないシコードの「恋人だ」の一言が欲しかったからだと思う。
 シコードはその問い掛けに反応一つ返してくれなかった。

 沈黙を破ったのはシコードの方だった。いつの間にやら物思いから戻ってきたらしいシコードが、ソファに沈むクラーリィのすぐそばまで近寄ってきていた。
 気付かなかった。もしくは、気付けなかった。
「クラーリィ」
「……ん」
「さっきの、問い掛けだが」
 気配を何となく察しているのか、それとも単純にクラーリィにまた殴られないようにしているのかは分からないが、距離にして一メートルほどのところでシコードは立ち止まっている。見下ろされる形にはなっているものの、手を伸ばしても届かない微妙な距離が何かを示しているかのようだ。
 この距離ならば仮にどちらかが襲いかかってきても、お互い高確率で身構えることができる。
「『おまえにとって俺は何だ』というやつ。今考えた」
「……ああ。別に、気にしなくてもいい」
 答えが怖いから聞きたくないと言うよりも早く、「だが」とシコードが追い打ちを掛けてきた。
 クラーリィを逃がしてはくれないらしい。幸か不幸かクラーリィの一番聞きたかったことがあの一文であることくらいはシコードも察してくれたようだ。ただ、己はあくまでも咄嗟の返答を求めていた。熟考した無難な返答は要らない。
「聞きたくない」の一言を言う勇気が出ない。もしかしたらシコードの口からこの蟠りを吹き飛ばすような言葉が聞けるかもしれないなんて甘いことを考えている弱い自分が確かにいる。
「おまえ、怒っているじゃないか。今でも」と、シコードが呟く。
「そうだな、否定はしないよ。怒っているというよりただ単純に不愉快だったというだけの話だが」

 可能性は二つ。行き過ぎた愛情を引き金とした殺傷。そんなに思い詰める前に一言でいいから相談して欲しいところだが、シコードもたまにわけのわからない男だし、妙なところで妙な拗れ方をしてしまった可能性がないわけではない。
 でも、これはないと思う。シコードはそんなに情熱的な人間じゃない。付き合いもそう長い方ではないが、クラーリィはなんとなくそれを知っている。己のものにならないのならば殺してしまえだとか、独占したいがあまりだとか、そういう方向への積極性はシコードにはない。
 そして残ったもう片方は、ごく単純な敵の排除。シコードは根底でクラーリィのことを恋人ではなく敵国の長だと思っていて、忠義に厚い彼がふとした拍子に己の任務を果たそうとしているだけ。
 きっと違うと「知って」いるけれども、シコードは恋人の振りをしてまともに戦っては無傷では済まない相手を穏便な方法で消そうとしているのかもしれないとか、今は違っても己に近付いた理由が己を害すためであったら、とかいう疑いが今もクラーリィから消えてくれない。
 その選択は人として間違っているかもしれないが、グローリア帝国の者としてはきっと間違っていないのだ。クラーリィだって己の国がそういうことを良しとしない国でなかったなら、或いは似たような手段を用いてスフォルツェンドの安泰に向け動いていたかもしれない。
 シコードの口からそのような事実を聞かされてしまうことが怖い。万に一つというその可能性があること自体が恐ろしい。彼がどのような行動原理で動いているのであれクラーリィはシコードに思いを寄せられて嬉しかったし、今だって確かに「恋」なんて不可解なものに心の一定部分を譲り渡しているのだから。

 落ち込んだ様子のクラーリィを眺め、シコードはしばらく言葉を探した後「済まなかった」と切り出した。
「どうか機嫌を直してくれ。弁解させてくれると嬉しい。おまえに嫌われると悲しいんだ」
「……話は聞く。返事は期待するな」
 クラーリィは目を瞑る。少なくとも嫌いはしない、不信がっているだけだ。だからこそ悪意なんてなにもなかったのだろうシコードの、本当に申し訳なさそうな顔がずきずきと胸を締め付ける。
 シコードはしばらくクラーリィが目を開けてくれるのを待っていたようだったが、そのうち諦めたのか口火を切った。
 私は、と彼はまるで独り言のように言葉を続ける。
「私はおまえのことが、好きだよ。生憎おまえが私をどう思っているかについては最近自信がなくなってきたが、少なくとも私はおまえのことが好きだよ。……好きなんだ」

 途中からクラーリィは聞くのをやめてしまった。
 そんなに念を押して何になる、なぜそんなにも何度も同じ事を繰り返す。理由は簡単だ。自信がないから。好きだと思い続ける自信や、そもそもクラーリィのことが好きであると信じ込める力が彼にはないから。
 不安だからこそ念を押す。己に何度も言い聞かせてそうであると思い込ませようとする。
 己に恋をしようと思っているその心意気だけは、認める。対する己は確かに彼のことが好きだ。でも、肝心なシコードの方がこれではお話にならない。
「……酷いな。聞いていないじゃないか。話は聞くと言ったくせに」
 やがて相手が話を全く聞いていないことに気付いたのか、シコードが指摘してきた。落胆しているかと思いきや、彼にあまりその様子は見られない。もしかすると、薄々クラーリィにその気が最初からなかったことに気付いていたのかもしれない。
「すまん。その気もなくなった」
 嘘を言うのもどうかと思い、率直に事実だけを告げる。
 案の定、シコードは困り果てた様子で黙り込む。このまま粘って許しを得るか、間を置けばクラーリィの気は済むのか、そもそもクラーリィがなぜここまで怒っているのか、彼にはきっと考え込んでいるのだろう。
 クラーリィは怒っているわけではないのだけれど、シコードが「怒っている」と思い込んでいる以上、永遠にこの話は終わらない。
「……そうか。済まなかった」
 どうやらシコードは諦めてこの場から引き下がる選択をしたらしい。ほんの少しの間を置いて、そろりと一歩後退する。余程口惜しいのか視線がまだクラーリィに絡みついている。
 そのまま見送れば良かったものを、クラーリィは不意に「おまえ」と呼び止めてしまった。
 ほんの微かな呼びかけをシコードはきっちりと捉え、明確に動きを止めた。しまった、と思っても全てが遅い。
 じっと、シコードは今の言葉の続きを待つ。きっとクラーリィが何か言うまで彼は二度と動かない。
「何か?」
「いや、然したる理由はなかった。聞こえないふりをすれば良かったのにおまえは地獄耳だな」
「今の、藁にも縋りたい私に向かって本当に酷いことを言うんだね」
 呼び止められたたった一言が、シコードには一筋の光明のように感じられたのかもしれない。たった一言クラーリィが「ごめんな」とか何とか、言ってくれさえすればシコードは救われる。
 でもクラーリィは、そんな彼の傷口に塩を塗り込むつもりで呼び止めたのだ。だからシコードは無視するべきだった。
「ではまず、おまえが喜びそうなことを言おう。俺は別に怒っていない。おまえとも縁を切ろうと思っていない。安心しろ」
「……?」
 その場所を動かぬまま、視線を今一度まっすぐとクラーリィの方へ。シコードは黙ってクラーリィの言葉の続きを待つつもりのようだ。
「次。さっきの話、頭の方は辛うじて聞いていた。事実、俺はおまえのことが好きだ。おまえのその真っ暗闇を俺は愛しているよ。だからその心配は要らない。そして俺は二度同じことを言わない」
「……」
 そうかと言いはしないものの、シコードは若干詰めていた息を吐いた。微かに緊張の緩んだ今に見えているのがきっと一番深い傷跡。こんなところを狙って抉る自分は大層性根が腐っているに違いない。
 だが、とクラーリィは続ける。
「だが、おまえは、俺のことが好きじゃないな」
 反論の隙は与えない。シコードが言葉を失っているのをいいことに、クラーリィはそのまま話し続ける。
「おまえは俺のことが好きなんじゃなくて、俺を好きになろうとしてるだけ。その努力は認めるよ。
 気になるのは、おまえがそうしたがる理由かな。おまえはどうしてそこまで俺に恋をしたいんだろう? 俺の恋人に収まると何かいいことでもあるのかな?」
 この先は言わなくても十分に伝わるだろう。クラーリィは酷いことを言っている。シコードを傷付けることが目的で酷いことを言った。そして、狙い通りにシコードに言葉の刃が突き刺さった。
 クラーリィはシコードの反応を見守っている。
 わずかに青ざめた顔色と、感情の全てを握り締めてわなないている拳と。そのまま握り締め続ければ、十中八九爪が手の平に食い込んで怪我をするだろう。
 何度か言葉を発しようとして、その度シコードは失敗した。クラーリィは彼の反論を待っている。だから何も言わない。
 数度目の挑戦の後、ようやくそれは音を伴ったものの、声は無様にも震えていた。
 ちがう、と彼は訴える。
「ち……ちがうクラーリィ誤解だ」
「だから『聞こえないふりをすれば良かったのに』と言ったんだ」
「ちがう……!」
 感情の伴った、恐らく「悲痛な」シコードの訴え。こんなに抑揚を付けて喋るなんて珍しい。
 いじめているのは己のくせに、クラーリィはどこか第三者のような気分でこの茶番を眺めている。シコードがこんなにも言葉を選んで必死になって話そうとしている場面になんてそうそうお目にかかれないだろう。普段なら諦めて黙るか、頭の良い彼なりに短く的確な言葉を投げてそれで終わりにするか。今のシコードにその手段はどちらも使えない。
 幼稚な仕返し、と言われるかもしれない。でもクラーリィは崖っぷちまでシコードを追い詰めてついに突き飛ばすことに成功した。シコードにはもう余裕がない。彼は必死で動かねば助からない。
 だから、その口からはきっと妙な思案に包まれた言葉や熟考の末の無難な台詞なんてものはもう出てこない。
 現にシコードはうまく言い訳ができないらしく、ちがう、のその先を言えずにいる。
「俺も暇じゃないんでね。呼び止めて悪かった。帰ってくれて構わな……」
 何か聞こえた気がしてクラーリィは口を噤む。シコードが何事か呟いたようだったが、聞き取れなかった。ただ、ニュアンスだけは伝わった。恐らくは……呪詛の言葉。
 とうとう腹を決めたのかと一瞬思ったが、今のところシコードから殺意は感じられない。
 しばらく待つと、それをシコードは明確な言葉にして吐き出してきた。
「……呪わしい」
 俺のことかとクラーリィが問い掛けると、ちがうとシコードは繰り返す。
「おまえになんと言えば分かってくれるのか皆目見当もつかない。そして、おまえの疑っている要素が皆無であると断言できない己が情けない……おまえに向かって『私を信じてくれ』とすら言えない自分が呪わしい……っ」
「ああ、もういいよシコード」
 もういい、とクラーリィは話をやめるよう手振りで示す。涙こそ湛えていなかったものの、今にも泣きそうな顔をしたシコードが口を挟もうとする、のを更に妨害する。
 もういいから、と繰り返す。
「ク、……クラーリィ」
「誤解しているようだが俺は今のおまえの台詞が聞けて満足した。もういい」
「……」
 クラーリィの言葉の意味を捉えかねたらしく、シコードはまた黙り込んでしまった。クラーリィの台詞が自分にとって良い意味なのか悪い意味なのか分からなかったようだ。
 無論答えは良い方。先程言ったはずだ、好きだとか、縁を切ろうとは思っていないとか。
「……おまえが俺のために必死になってくれたってそれだけでいいんだよ。おまえの腹の内なんて知らない。どうでもいい! 俺はおまえが好き、それだけでいい、あとはそれしか要らない」
 追い詰められたその瞬間に、普段隠していた感情とかそういうものをクラーリィにさらけ出す勇気が必死さがシコードにはある。その時に諦めるのではなく、無様な姿を晒してでも挽回を図ろうとする意志が彼にある。クラーリィにはその事実さえあればいい。
 どんなに疑いが浮かぼうと、どんなに殺意を感じようと、この事実さえあればきっとクラーリィはシコードを信じられる。
「大丈夫。……おまえが自分を信じるように言えなくても、俺は今の台詞でおまえを信じることができる。試すような真似をして悪かった、シコード」
 恋の引き金はあちらが引いた。シコードに煽られて、クラーリィは恋をした。けれど、発火点がどこであれ、今この想いは確かにクラーリィの内にある。腹立たしいこともある、お国柄あまり仲良くするわけにもいかない、恋人となった後だって本気で殺してしまいたくなったこともある。でもいつか灯された深層の炎は、その時だってずっと燃え続けていた。
 無論、今もだ。クラーリィの心をここぞとばかりに焼き滅ぼした。一緒にいれば楽しい。リスクと差し引きしても、彼の恋人に収まっている方が心地よい。数多のリスクを乗り越えてでも共に歩んでみたい。愚かすぎるその選択をクラーリィにさせるほど、慕情なるものは鎖のごとくクラーリィを縛り付けて離さない。

 クラーリィが許してくれたらしいと察したシコードは、ようやく一歩だけこちら側へ戻ってきた。まるで油を差していない機械のようだ。動きがぎこちない。
 クラーリィ、と呼びかけるシコードの声には困惑が混じっている。
「クラーリィ、私には、おまえがなぜ機嫌を悪くしたのか、なぜ機嫌を戻したのか、分からない……」
「だろうな。俺とおまえはさ、住んでる世界が違うんだ、たぶん」
「分からない、がこんなに辛いと思わなかった。このままではいずれまた同じ轍を」
「いや? 俺はもう平気だよ。言ったろうさっき、同じ事を二度言わないと」
 結局の所、シコードの胸の内なんてクラーリィには永遠に分からない。今日は好きになろうとしているだけだと指摘してみたが、それが図星かどうかの判断はクラーリィにはできない。本当にそうかもしれないし、クラーリィが醜い疑いを持っているだけでシコードはごく普通に恋をしているだけかもしれない。
 問い詰めたって、出てくる言葉が本当かどうかを知ることはクラーリィにはできない。できるのはその言葉に最大限嘘が混じらぬよう相手を追い詰めることだけだ。だがそれも確実ではない。だから最後は己が信じられるかどうかという話に尽きる。だからもうシコードを疑うような真似は止す。……そう、己に言い聞かせる。
 言い聞かせないといけないのだから、やっぱり不安は不安なのだ。
 もう一歩近寄って、シコードは立ち止まる。クラーリィは「おいで」と呟いた。残念なことにシコードは首を振った。
「何が、したいのだろうな、私は。クラーリィ、おまえと守れない約束がしたい」
 クラーリィがそういう類のものを嫌いだとシコードは知っているはずだ。だからこそ「何がしたいのか」なんて付け加えたのだろう。
 何と言うか想像は付いている。クラーリィはあざ笑うように「いいぞ」と返す。
「クラーリィ、私は、おまえを幸せにしてやりたい」と、シコードが呟く。


 ***END



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