ほしい



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 なるべく起こさないようにと思ってそろそろと近寄ったのに、いつの間にか暗闇に伸ばされていた腕に気がついた。
 何だ、気を遣ってやったのに。おまえのことだから俺が気を遣っていたところまできちんと分かっていただろう。だったらそのまま寝たふりでもしていれば良かったのに。
 何だよ。俺の好意を無下にしやがって。
 サックスのくせに。



「……おまえが睨んでいるのが分かる……」
 ぴたりと立ち止まったクラーリィに気付いたらしく、サックスが声を掛けてきた。この場に似つかわしくない殺気が送られていることを彼はよく分かっているらしい。

「きちんと寝たふりをして俺が手を伸ばすのを待っていろ。そーいうシチュエーションだろうが」
「まあそれもロマンティックではあるよね? 分かるよその気持ち。俺もそういうのがやりたくて今手を伸ばしてみたりしたわけでして」
「寝ているおまえのほっぺた触ってやろうと思っていたのに。楽しみにしてたのに。おまえはなんてことをしてくれたんだ」
「……いや、起きてても感触とかは変わらんと思うから、今触ったっていいのよ、ほれ……」
 顔を突き出してみたけれどクラーリィは無反応だった。サックスはしばらく待ってみる。やっぱりクラーリィは動いてくれない。
 機嫌が悪いのかな、とサックスは思う。なので「つねってもいいよ」と振ってみる。こういう場合、そこそこの機嫌の悪さであるならばクラーリィは乗ってきてくれるはず。ただし、あまりにも機嫌が悪い場合はその限りではない。
「……サックスのくせに。俺に気付かずぐーすか寝てろよ……かわいくない」
「んんっ? これは選択に迷うな」
 よいしょ、とサックスは身体を持ち上げる。ベッドの上に身を起こして、身体の向きはクラーリィの方へ。
 彼は暗闇の中棒立ちになっていた。無論手ぶら。服装は、まだ暗闇に目が慣れていないのではっきりとは断言できないものの、たぶん寝間着だと思う。
 時計を見たら零時を少し回ったところだった。今からちょっかいを出して帰るとも考えがたいから、クラーリィはサックスのところへ寝に来たらしい。理由は……毎回あったりなかったりだから、あまり気にしない。
「おいで」と言ってみたものの、クラーリィは動かない。
「あれ怒ってる? 悪いね〜俺こう見えても大神官様の右腕を誇る男なんですよね。おまえがそういうキャラで固定したい気持ちも分からないでもないけど、基本俺そこまで間抜けな男ってわけでもないんだよね」
 引き続きクラーリィの様子を窺ってみるものの、どうにも反応が薄い。ただ、纏っているオーラがあまり楽しそうなものではないので相当ご機嫌を損ねているのだろうとは予測が付く。
 よっぽど触りたかったんだと思う。ちょっとは可愛いところがあるじゃないか、なんて。あのまま寝たふりをして、クラーリィに触られて、幸せそうな顔はしないまでもちょっぴり満足そうな顔をしているだろうクラーリィをまぶた越しに想像してみるのも乙なものだったのかもしれない。今となっては手遅れだけれども。

 クラーリィがようやく半歩だけ移動して、「別に」とだけ言った。たぶん「別に怒ってない」という意味だと思う。
 そのまま彼がゆっくり近寄ってくるのをサックスはじっと眺めていた。暗闇に浮かぶ金色。寝間着が黒っぽい色のせいで本当に肌と髪くらいしか浮かび上がるものがない。おまけに、一度自室で寝て目が覚めてしまったからなのか中途半端に着崩れている。最初に浮かび上がってくる感想は色っぽいとかそういう好意的なものじゃなくてだらしないとかやる気なさそうとかそういう感じの着崩れの仕方。まあ、最近暑いしなんてサックスは自分に向かって言い訳している。
 ベッドの上であぐらをかいているサックスの一メートル手前くらいで、クラーリィはぴたりと止まった。
「はい、こんばんは」
「ん」
「起きちゃった?」
「ん」
「おまえの『ん』のニュアンスの判別ができる俺の愛ってすごいと思わない」
「そだな」
「……おや……素直」
 返事なんてこないと思っていただけに、「ん」ですらないクラーリィの返答は意外だった。自分の望みが通らなくて拗ねているのかと思いきや、そうでもないらしい。ついさっき相当ご機嫌を損ねていると憶測を立てたけれども、外れていたのかも、なんてサックスは考える。
「隣座っていーよ」
 ぽすぽすとベッドを叩くと、クラーリィは黙って隣に収まってきた。はぁ、なんて重苦しいため息をつく。自室で嫌な夢でも見てきたのかもしれない。あるいは、明日以降の現実を思い出して憂鬱になってしまったか。不機嫌には見えたけれど、その原因はあまりサックスにはなくて、さっきのはどちらかというと八つ当たりというか言いがかりというか、そういう類のものだったのかも。
 クラーリィに声を掛けるか、あるいは手を伸ばしてスキンシップなるものを取ってみるかと案じていたところ、クラーリィの方が先に話しかけてきた。
 おまえ、と呟く声がだいぶ小さい。
「おまえ……俺が拗ねたとか思ったろ」
「ええ勿論」
「しみったれたところで拗ねるなとか思ってたろ」
「いや、流石にそこまでは」
 面と向かって言ったら怒りそうだから何も言わないけれど、どちらかというと「しょーもない子だな」とかいう感覚の方がサックスのそれには近い。とても強くて、周りからも強さを要求されていて、彼に弱さなんてものは誰からも求められていなくて。なので変なところでそれがにょっきり顔を出したりしても、サックスは何とも思わない。むしろ人間っぽく見えて安心する。
 覗く横顔に、ちょっとだけ憂いを秘めた影。
「どっちかというとケチだなって思ったよ」
「心狭い?」
「いや、そーじゃなくて、さっきの例だとあのまま臨機応変に俺に触って貰う側に転向すれば良かったのにって。そしたら優しくしてあげたのに〜ってね」
「……」
「……俺はね、おまえのそーいうところも好きよ」
 融通が利かなくて、自分がこうすると決めたことに一辺倒で、いつどこへ向かうにも真っ直ぐで一直線で。一筋の光のように駆け抜けるクラーリィがサックスは好き。悪く言えば「頭が固い」ということになるのだろうけど、惚れた弱みと言うべきか、サックスはそういう特長を相手取って「可愛いな」なんて思ってしまう。
 上司だからとか部下だからとかそういうんではなく。一人の人間として、それから世界にたった一人のこの人と決めた恋人に対して。クラーリィの「そーいうところ」が、サックスはなんだかとても好きだ。

 隣に座ったままだったクラーリィはいつの間にやら足をぶらぶらさせていた。あぐらをかいているサックスとは違い、普通に腰を下ろしているだけ。だから立ち上がろうとすればすぐ立ち上がれるのだろうけれど、今のところその気配はなさそうだった。
 身体を支える腕が、ちょっとだけ震えている。眠いのかも。それとも別の何かが原因かも?
 そのうちクラーリィは「俺も」と呟いた。相変わらず声が小さい。
「……俺も」
「ん?」
「……俺も、おまえの、その、……馬鹿みたいなところが好き」
「ありがと。褒め言葉として受け取っとくよ」
 ちらりとクラーリィがこちらを見てきた。ほんの少しだけ眉がひそめられている。今のは望んだ反応ではなかったかな? なんて思ったのもつかの間、どうも入れられたくないタイミングで口を挟んでしまったのが原因のようだった。クラーリィの台詞はあれで終わりではなかったらしい。
 うるさい、と顔に書いてある。恋人相手に失礼な。
 続くクラーリィの言葉は、先程までのよりちょっとだけ滑舌が良かった。目が覚めてきたのかも。
「俺は、……馬鹿を装っててホントは頭が良くて俺を後押ししてくれるおまえが好き……」
「……おやっ」
 一瞬聞き逃しそうになったけれど、クラーリィは珍しくもがっつりサックスのことを褒めてくれたらしい。本当にたまにだけれど、こういう評価が聞けるのは嬉しい。眠気が普段の照れを隠しているのか、それとも眠い振りをして口に出しているのかは知らないけれど、そういうのは割かしどうでもいい。
 クラーリィからこういう評価を貰えたことがサックスはただただ嬉しい。ちゃんと自分のことを見ていてくれるんだという安心感というか。普段あまり態度に出ないクラーリィなだけに。

 時計を見たらもうそろそろ一時になりそうな頃合いだった。そろそろ寝ないと明日に支障が出そうだ。もしクラーリィが今悪夢を見てこちらへ逃げ出してきたのであれば、寝た気なんてまったくなかったのだろうし、さっさと寝ないと明日が辛そう。いつまでも話していたい気持ちもあるけれど別に今日しか時間がないわけでもなし、それはまたの機会にとっておくとして本日はもうおやすみした方が良さそう、とサックスは結論づける。
 自分が転がるついでにクラーリィの腕を引っ張ったら、何の抵抗もなく一緒に転がってきた。彼の長い髪の毛が思いっきり顔にかかって、ちょっとだけ息が苦しくなる。
「お、ちょっと髪の毛結ぼうねクラりん」
 返事を待たず、サイドテーブルにぽつりとのっかっている髪紐を取る。いつだったかクラーリィが誰かからプレゼントで貰って、もう既に部屋にあるからとなぜかサックスの部屋に置きっぱなし。しかしながらなかなかに使い勝手が良かったのでずっとサックスのベッドのサイドテーブルに載せたまま。一応メインの使い道は髪紐としてなので、差し出し人はどうか許して欲しい。
 ゴムじゃないので結ぶのに時間がかかるものの、その分彼の髪を弄んでいる時間が長く取れるのでちょっとだけ楽しい。もともと面倒だとかそういう感情はあまり沸かない好きでやっている行為だから手間暇とかは割かしどうでもいい。
 もう一度起き上がって、寝転がったままのクラーリィの髪の毛を少しゆるめに結んでおく。あまりきつく結ぶと後が残ってしまって折角の綺麗な長髪が台無しになるし、ゆるくしすぎると寝ている間にほどけて次の日サックスの首を締め上げるし。妙な結び方をすると途中で引っかけたりほどけたりで意味がなくなる。結構コツが要る。
 サックスが結んでいる間、クラーリィは人形のように微動だにせず無反応だった。寝ちゃったのかな、と思いつつも呼吸が不規則だったので起きてはいるのだと思う。

「できた」と呟いた途端、クラーリィにもの凄い勢いで引っ張られた。
「ちょあっ!?」
 ベッドに倒れ込んだ。タイミングを見計らってでもいたのだろうか、流石大神官様。隙は逃さないらしい。いや、問題はそんなことではないのだけれど……
「クラーリィちょ、あの、あ、え……」
 いつの間にやら位置交代。つい先程までクラーリィを見下ろしていたのに、気がついたら見下ろされている。
 なにその無表情。怖い。
「あの、……ポーズは嬉しいんだけどな……」
 あっさりマウントポジションを取られてしまったので雰囲気が雰囲気ならばきっと嬉しく思ったのだろうけど、なにぶん纏うオーラが楽しくなさそうだし、顔も無表情だし、ここでおちゃらけたり悪戯をしてもクラーリィにとっては何も楽しくなさそう。反応もしてくれなさそう。
 なんでこんな体勢取ったんだろうとそっちの方が不思議だ、なんてサックスは思う。クラーリィもこういうところくらい手抜きをすればいいのに、体勢の取り方が完璧だから今のサックスはそう簡単に動けない。もぞもぞしてもいいけどクラーリィの怒りを買うかもしれないし、結構しっかり乗っかられてしまっているので動こうとなるとそれなりのエネルギーが必要そうだ。ここはひとまずじっとしているが最善だと思う。
「このポーズ滾るなー……って、……なんか喋ってくれると嬉しいなあ」
「なんか……」
 うん、と相槌を打つ。ここで黙られたらどうしようなんて思っていたけれど、意外にもクラーリィはすぐ沈黙を破ってくれた。今日のクラーリィはサックスの予想に反してそこまで不機嫌だったりイライラしているわけではないらしい。ただ単に消極的、エネルギーがないだけの様子。その割にこのポジションをキープする理由はよく分からないけれど。
「……」
「別に、喋りたくないなら無理に喋らなくてもいいけど。明日があるし、俺は早めに休んだ方がいいかなって思ってるよ、クラーリィ」
「少し、結んでくれてありがとなって言おうと思ったんだけどな。なんか、ありがとって言うのも違う気がして」
 人の話を聞いているのかいないのか、クラーリィはサックスの気遣いを半ば無視してその体勢のまま呟いた。クラーリィの悩み通り、サックスが髪を結んだりする理由の半分くらいは思いやりじゃなくて自分のためだから、別に感謝してくれる必要はない。ぶっちゃけ邪魔だなって思ったりもしているので、自慢の髪をそんな風に思われているクラーリィは怒っても良いし、プラスマイナスゼロになるような気もする。
 クラーリィが話しそうで話し出さない雰囲気なので、サックスもじっと待ってみることにした。諦めて降りないのは、きっとまだ言いたいことがあるからだと思う。そして、他にも取れる体勢はたくさんあるだろうにこのポーズのまま動かないのは、サックスに話をきちんと聞いて欲しいからだとも思う。
 いいよ、待つよ、と言いはしないけれど、サックスはじっとクラーリィの顔を見つめている。
「……サックスおまえ、良い奴だな」
「なにどしたのいきなり」
「俺のことどかそうとすればいいのに、待つんだな、おまえ」
「待って欲しかったんでしょ?」
「……そう。そうだよ」
 間髪入れぬサックスの返しにクラーリィは一瞬目を丸くして、それからようやく柔らかい表情になった。今までの張り詰めた表情が嘘みたいな、本当に少しだけ苦みの残った、嬉しそうな顔。
 サックスを押さえ込んでいた腕から力が抜けて、ふわりと宙に浮く。すこしだけクラーリィとサックスの間をさまよった腕はサックスの頬の方へ。
 また傷を作ってしまったのか、指先がすこしざらついている。
「……でも、ごめん、言いたいこと忘れちまった。待ってて貰ったのに」
「別にいーよ」
「重かったろ。ごめんな」
「しょーがねーの。謝ってる暇があんならこっちおいでほら、優しくしてあげるから」
 頬を撫でていたクラーリィの手がぴたりと止まる。おいで、とサックスは自分の胸のあたりをぺちぺち叩くものの、クラーリィはそれ以上動かない。
「この時間にちょっかい出しに来たってことは自分の部屋に帰る気ないんでしょ。仲良くしようぜ」
「……」
「大丈夫変な触り方したりしないから。おいでクラーリィ」
 しばらくサックスを見つめていたクラーリィがようやく動いた。ごめんと言いつつかけ続けていた体重を一度浮かせて、サックスの横へ。そのまま布団の中に潜り込む。
 少しだけ身動きをして、クラーリィ本体は動かなくなった。彼の腕だけがまだ布団の中でもぞもぞやっていて、そのうちサックスの腕を掴んで止まった。捜していたらしい。
 オレンジ色の照明と、止めてしまってちょっとだけ暑苦しい空調と、すぐそばに感じられる恋人の温もりと、吐息のかかりそうなこの距離と。
 当たり前だけど、顔が近い。
 サックスは「変な触り方したりしない」と言った手前ひとまず今晩は何の手出しもできないのに、分かってやっているのかクラーリィはさわさわとサックスの腕を撫でている。あとちょっと丁寧になると愛撫なんて表現になっちゃうような微妙な触り方。今日はもう寝るつもりなんだからあまりサックスを苛めないでやって欲しい。
 すりすり。
「サックス、俺、来週誕生日なんだけど」
「勿論知っています」
「もうプレゼント決めた?」
 すりすり。ちょっと抵抗して腕をずらしてみたものの、クラーリィはきちんと追いかけてきた。
 そのくせ顔から全くその気配が感じられない。顔と腕が別々の頭で動いてるんじゃないかっていうレベルだとサックスは思う。ちょっと照れ気味とか、ちょっと下心がありそうとか、そういうのが感じられる顔ならまだ気持ちも分かるというのに。これまでのクラーリィだって、平均を取ればたぶんきちんとその辺は釣り合っていたと思う。
 無意識に触ってるのかな、なんてサックスは思うもののなるべく顔には出さない努力をする。顔に出たらきっとクラーリィは我に返ってしまう。そして、手を止めてしまう。
 仕返しできなくてむず痒い気持ちもあるけれど、やっぱり構って貰えているのは嬉しい。
「なんか欲しいものあるの?」
「ん」
「ちょっと考えてたものはあるけど……欲しいものあるならそっちあげるよ。何?」
「おまえ」
「んっ?」
 すりすりが急に止まって、腕をがっしり掴まれた。台詞を付けるなら逃がさないよという感じ。近すぎてぼやけているけど、とりあえずクラーリィの顔は真面目。
「プレゼントは俺♪……やって」
「……クラーリィくん今酒入ってたりしませんよね」
 息は別に酒臭くない。そして顔は相変わらず真面目で、一概に冗談と笑い飛ばす雰囲気でもない。もしかしたら眠くてこんなことを言ってしまっているのかもしれないけれど、これまでの言動を考えるにその線は薄いように思う。今になって急に寝ぼけて明日なにも覚えていないなんてそんな都合の良い話があってたまるものか。
 冗談、の一言を待ってみたけれどクラーリィは何も言わなかった。冗談ではなかったらしい。

「……欲しいならいいけど」
「ん」
「でも、それでいいの?」
「なぜ?」
「だって、えーとその、……お、俺の心も体ももうクラーリィのものだから……なんちゃって! ギャー恥ずかしい!! 恥ずかしいいいぃぃぃ!!」
「……かっこわるい」
「この間漫画で読んだから言ってみたかったんですごめんなさいクラりん。まさかこんな恥ずかしいと思ってなかった。恥ずかしい。俺今すっげー恥ずかしい。マックス恥ずかしい。なんかもう体中が痒い。かゆ……かゆいぃい……」
「そだな、真っ赤だよ」
 暗いけど分かるよ、とクラーリィは付け加えてきた。冷静すぎてクラーリィが憎い。
 まあ、かっこいい台詞を言おうとわざわざ深呼吸までした自分も悪い。そしてちょっぴり声が裏返ってしまったことも、それを総じて完全にスルーして超冷静なクラーリィも、まとめてみんな恥ずかしい。
 そんでもって、自分が好きなだけでこういう台詞を言われても喜びもしなければ怒りもしないのがクラーリィだってことも知っている。他人から借りた台詞なんてクラーリィの心には届かないのだ。
 だから、本当の意味でこの気持ちを伝えたいのなら、サックスは自分の言葉で言い直さないといけない。
「ね、でもさ」
「ん」
「そんな、俺をおまえにあげる! なんてわざわざやんなくてもさ、俺は公私共々おまえ様のものですよ」
「……」
「そんな、えっと、……不安がらないでよ。大丈夫だから」
「……なんだよ、それ」
「えーと、だから、わざわざ約束しなくたって、確認しなくたって、大丈夫だから。わざわざ名前ペンでおまえの名前を書かなくても、俺はどっかに行ったりしないから。ね」
 借り物の言葉というのは本当に便利ですらすら言えるものだけど、いざ自分の言葉で自分の気持ちをとなるとなかなか形を持ってくれない。喋るのは好きだけどかといってこういう話まですらすら話せるのかというとそんなこともなく、クラーリィの胸へ一直線に飛んでいって彼を突き刺せるような台詞を吐けるわけもなく。
 既にクラーリィ所有のものを、もう一度「あげる!」なんてやるのも妙な話だなとサックスは真面目に思っている。でも、クラーリィは絶対にそう思ってない。何度言っても、行為で示そうとしても、この様子じゃ納得してくれないに違いない。
 いつの間にやら、サックスの腕を掴んでいたクラーリィの手がどこかへ行ってしまった。
「……俺はおまえが欲しい……」
「だからあげるって。でも、誕生日を待たずして既におまえのものだよ、って話を俺はしてるの」
「じゃあサックス、おまえの魂が欲しい」
「悪魔契約したいの? それはちょっと……あ、いや、したいならいいよ、クラーリィ」
 答えが分かっているのに「本当にしたいの?」とサックスは聞いた。我ながら酷い問い掛けだと思う。
 クラーリィは黙って首を横に振った。
「ちょうだい、おまえの」
「いいよあげるよ? 俺のものでおまえが欲しいものがあるならなんでもあげるよ」
 今クラーリィを包んでいる不安やら何やらを払拭してやることができるのならどんなにかいいだろう。自分が本当の意味でクラーリィにとっての落ち着ける場所になれたらいいのに。この場所に来るだけで安心できるような、そんな存在になれたらいいのに、と強く思う。
 それから、クラーリィのこの余裕のなさすらもが愛おしいと思う自分がちょっと憎い。
「……サックス」
「うん?」
「俺は強欲だなあ」
「別にいいんじゃないかと俺は思うけどね。逆に聞くけど強欲のどこが悪いの?」
 じっ、とサックスを見つめてくる新緑みたいな色の瞳。その奥の濁りや光が、サックスを見ているのだか見ていないのだか。行方不明になっていた腕がもぞもぞと上の方へ移動してきて、サックスの胸元あたりの寝間着を掴んだ。
 そだな、とクラーリィは呟く。
「もう寝た方がいいよ。これ以上ぐるぐるしてもしょーがないと俺は思うな。寝て、すっきりして、明日になってもまだ俺のことが欲しいんならリボンつけておまえにあげるよ……」
「どうせ捨てるからリボンは要らない。……くだらない話に付き合ってくれてありがとうサックス。おやすみ」
 くだらなくなんてないよ、とかいろいろ言いたいことはあったけれど、クラーリィが目を瞑ったのでサックスは何も言わなかった。
 願わくは、彼に心地の良い深い眠りを。それから、良い夢を。撫でてあげたかったし、抱き締めてあげようかなとも思ったけれど、それで逆に起こしてしまってはたまらないからサックスは動かないことに決めた。
 目を瞑る。今夜のことを明日のクラーリィは覚えているだろうか。明日も同じように、サックスの「なにか」を欲しがったりするのだろうか。
 せめて夢の中でクラーリィを満足させてあげられたら、なんて思いながら深呼吸を一つ。
 良い夢が、見られますように。


 ***END



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