sudden



 ***


 痛々しい顔をしている君の顔を見ていると心が痛んだ。暗鬱な気分とはあれを指すのだと私は思った。君が世界の全てになれば良いと思った。そんな風に言える映像の恋人たちを見て私の心は躍った。同時に現実を思って悲しみをも覚えた。
 君は私の全てにはなり得なかった。私の世界の全てにもしてあげられなかった。本当はしてあげたかった。けれど、無理だった。
 君の名前を呼ぶことが段々と苦しくなっていった。だからそのうち呼ぶのをやめてしまった。君の声を聞くのが苦しくなった。だからそのうち連絡を取らなくなった。
 君のことは好きだった。とても好きだったし、愛していた。ただ、いわゆる世間一般の「愛」とは違うと思う。君から別れ話を持ち込まれたとき、私は心底ほっとした。
 これでもう、苦しまなくて済むと思った。私と向き合って刻一刻と表情を変える君が、たまらなく愛おしくて、そして世界中のなによりも私の心に憎しみという名前の苗を植え付けた。それは次第に大きくなって、茂り、やがて私の心に影を作った。放っておくとそれは肥大し、終いには日の当たる場所が消え失せた。暗闇に残ったのは汚泥のような言葉では形容し難い感情の蟠りだけだった。
 君を憎い、と私は思った。

 君の言う「俺のことが嫌いになったのなら」という言葉は間違っていた。けれど話が拗れることをおそれた私は何も言わずに黙っていた。もとから黙ることの多かった私のことだし、君はきっと返答に然程期待はしていなかっただろうと思う。
 それでも君は私の返答がないことに落胆していた。
「もう俺に付き合ってくれとは言わない。……今まで楽しかった。無理矢理付き合わせてしまった形になって、申し訳ない……」
 いいや、と私は言った。何も言わなければ良かったのに、つい返答をしてしまった。私が言い返せば言い返すだけ君はその分返答を寄越す。君の声を苦痛に感じるのだから、これ以上話を長引かせるのは得策ではなかった。
「ありがとう、おまえは、最後まで、優しいのだな」
「いいや。優しいのは君だよ」――ああ、また、ミスを犯した。でも仕方がない、と己に言い訳をする。私は君のことを愛しているし、君のその痛々しそうな顔を見るのは本当に好きじゃない。だからこれを最後にしたい。これっきり君がこんな顔をしないことを私は何より願っている。だからこんな拗れたことになった。
 なあ、と呼び掛ける君の顔はだいぶ必死めいていて、私の胸を締め付けた。お願いだから止めてくれないか。これ以上苦しみたくない。これ以上、私のせいで君を変えてしまいたくない。君が私によって少しずつ変わっていくことが、私にとってなによりも苦痛だった。
 私の愛した君が、私のせいで形を失っていく。私のせいで形を変えていく。その足下が覚束なくなってゆく。
 私は私に恋をしてくれた君がいっそ憎かった。あの時君に告白されて世界中のなによりも幸福だと思ったのに、今や当時の己を愚か者と蔑みたい気持ちでいっぱいだった。あの時イエスと言わなければ良かった。そうすればきっと、君は変わらないままでいてくれた。
「シコード、縋るようで本当に申し訳ないんだが、その……もし良かったら、俺のどこが嫌になったのか、教えてくれないか。弁解の余地をくれとは言わない。もうおまえが冷めきっていることは分かっているから、どうか別れないでくれとも言わない。今日だって別れ話を持ち掛けたのは、このまま曖昧にフェードアウトしたくなかったからなんだ。おまえはそれを望んでいたのかもしれないけれど、俺はおまえのことが今でも好きだから、せめてそこははっきりさせておきたかった……いつまでも恋人気取りはしたくないんだ」


 ***


 苦しそうに言葉を紡ぐクラーリィを見ていて、ただただシコードは悲しかった。その胸には悲しみしか浮かんでこなかった。怒りは感じなかった。当然だろう、変わろうとした彼を後押ししたのは紛れもなくシコード本人だった。好きだと言って目を輝かせるクラーリィを、あのときシコードは確かに愛おしいと思った。鮮やかにシコードの心に焼き付いたあの瞬間の光景は、今は少しずつ腐り始めている。橙いろの照明に照らされて、あまり規則正しい生活をしているとは思えないクラーリィの頬を健康的に染め上げていた。一見血色がよさそうに見える頬を、首筋を、腕を、シコードは黙って見つめていた。よく見るとそこかしこに古傷が残っていた。落ち着かないのか揺らめく指先も傷だらけだった。
 きっと触るとざらついているのだろうな、とシコードは思っていた。けれど終ぞ手を出す気にはならなかった。触ってはいけない、とその時強く思った。
 若干の潤みを持たせた瞳には、焦がれるものを見る時のあの情熱が奥に潜んで燃えていた。その強さはどんな力を加えてもねじ曲がりそうになかったし、逆にすぐに崩れるほど脆いようにも感じられた。煌めく瞳が一直線にシコードだけを見つめていた。心臓をも射貫かれるような眼差しは、どこかシコードの奥の方に鈍痛をもたらした。きっとのぞき込めばシコードしか映していないであろう新緑に似た輝きは、話している間中じっとシコードのことを縛り付けていた。
 その全てが愛おしいと思ったし、彼どころか世界全てが輝いているようにシコードは錯覚した。
 ――錯覚だった。今思い返しても、シコードはクラーリィの古傷ばかりを思い出す。指先に残る細かい傷跡ばかりを思い起こす。そうして、自分がまたこうして彼に傷を増やすことの罪深さに項垂れる。この先もずるずると関係を続ければ傷を増やし続けるだろうから、これ以上傷付ける前に、決着をつけておくべきだろうか。本当は傷一つ付けずこのまま消え去りたかった。むしろ、彼から己の記憶を消せたらどんなにかいいかと願った。スフォルツェンドの魔法には記憶を消せるものがあるという。同じものがスピリット・アーツにもあったら良かったのに。そうしたら、私は君から傷一つ残さず消え去れるのに。
 あの日暖かいと感じていた橙を同じように思い起こすことはできなくなった。同じいろを見る度シコードの胸は痛くなった。美しいと今も思っているクラーリィのあの瞳に己が映り込むことが苦しくてたまらなくなった。どうかその瞳に私を映さないでくれ。君の瞳にはきっと、もっと相応しい映すべきものがあるはずだから。

 なあ、と呼ぶクラーリィの声にシコードは現実に引き戻される。あまりいい思い出ではなくなったそれを押し込めるように、シコードは前を見上げる。ソファに座ってじっとしているシコードとは対照的に、クラーリィはその前に棒立ちになってシコードを見下ろしていた。
 握りしめる拳が震えていた。
「今じゃ全体的に嫌い、というんでも、何か切っ掛けのようなものはあるだろう? ……ああ、女々しくて、最高に格好悪い俺。でもいいよな? 最後にこんな情けない姿晒したって。べらべら喋って、なんて必死なんだろうな。必死な奴ほどよく喋るを体現している今の俺! でもシコード、最後のお願いだ、俺に止めを刺してくれ、後生だから。俺のことを一度でも好きなことがあったのなら、お願いだから、俺の最後の頼みを聞き入れてくれ」
 やがてほろほろと落ちてきた涙をシコードはじっと見つめていた。シコードはまた一つ彼に傷を増やした。こうやってクラーリィに傷を増やして、少しずつ、少しずつ、シコードは自分の手で己の愛したクラーリィを壊していく。涙は頬を伝って顎のあたりで少し留まって、それからはたりと床に落ちた。そのうちのいくつかは服に引っかかって無様な染みを作った。水滴が形を失ってじわりと染みていくのを、境界を失い溶けていくのを、シコードはじっと見つめていた。
 クラーリィはじっとシコードの言葉を待つつもりらしかった。あるいは未練が祟って動けなくなっただけかもしれないし、ここで逃げては一生後悔すると思い詰めての行動だったのかもしれないが、それをシコードが知る由はなかった。ただクラーリィは動かなかった。シコードの目の前から一歩たりとも動こうとしなかった。視線だけは、下の方へ向けられていた。
「……私は」
 ぱっと上げられる顔を予測し、視線が合わないようシコードはあらかじめそっぽを向いておいた。それでもじりじりと彼の視線を感じる。その視線に熱が籠もっていることを知っていて、シコードは罪悪感なるものに己を潰されかける。
「私は……別に君が嫌いになったわけじゃない」
 気配で、クラーリィが何度かなにかを言おうとしてその都度諦めたのが分かった。言葉を紡がせる前にそれを塞ごうとシコードは思った。どうせ声なんてもう聞きたくない。大衆に向けられた声は聞きたくても、シコードだけに向けられる声なんてもう聞きたくない。
 そのまま全てを諦めてくれと願った。そんなことは無理と知っていながらも、シコードはクラーリィが諦めて引き下がってくれることをひたすらに願った。
「君には分からないのだろうが、私は君を、愛しているよ」
「じゃ、じゃあ、なぜ……なぜ! おまえは俺を見ない、連絡を寄越さない、返事をしない、……俺の名前すら呼ばない。俺の名前は『君』じゃない。先に名乗ったのはおまえの方だろうが……っ」
 そういえばそんなやりとりもあった。あの頃、まさかここまで関係が拗れるとは思ってもみなかった。最初の歯車を回し始めたのは誰だ。運命の徒だなんてそんな甘いものをシコードは認めない。彼の瞳にいの一番に己を映してしまったものはなんだ。その彼に、恋なる炎を抱かせたのは一体誰か。やがて彼を焼き滅ぼすと知っていながら、そんな惨いことをしてのけたのは一体なにか。
 ああ、とため息を一つ。それはきっと、全て己の所業だった。
「君が」
 クラーリィの願い通り洗いざらい話したところで彼が納得するとは思い難かった。けれどシコードはそれらしい嘘を思い付けなかった。どうせそんな隙だらけの嘘をついたところで見透かされるに決まっている。クラーリィは賢いのだから。彼を愛したシコードはそれをよく知っている。
「君が、変わってしまったから」
「俺がおまえの好みじゃなくなった、という話か?」
「いいや。私のせいで君が変わった。それが耐えられなくなった。……それだけなんだ」
 クラーリィは黙っていた。
 視線を逸らしているシコードに彼の仕草は分からない。浮かべているであろう表情も分からない。思い浮かべることもできないし、思い浮かべたいとすら思わない。
 ただひたすらに、シコードはクラーリィが諦めてくれることだけを願い続けている。

 やがて、すっと息を吸う音が聞こえた。止せば良かったのにシコードは視線をクラーリィの方へやってしまった。彼はこちらを見つめていた。シコードとは違い、その光には迷いも戸惑いも苦悩すらも見られなかった。炎を宿しているかのようだった。焼き殺される、とシコードは思った。なのに一度絡めた視線を振り解くことは適わなかった。
 ゆっくりと口を開くクラーリィのその緩慢な動作を、シコードは微動だにせず眺めている。
「じゃあ、おまえは、俺のことが最初から好きじゃなかったんだ」
「な、ぜ」
「おまえは、おまえの思い浮かべる『クラーリィ』が好きだっただけ」
 なぜ、とシコードは繰り返した。クラーリィの言っている意味がさっぱり分からなかった。
「おまえの好きな『クラーリィ』は、人間じゃなかったんだな」
「君、は、人間だろう……」
「シコード、おまえが恋をしたのは、俺の形をした人形」
 クラーリィは優しく「俺じゃない」と繰り返した。まるで頭の悪い子供に言い聞かせるかのような口ぶりだった。その言葉尻に侮蔑が混じっていることに気付いてシコードは愕然とする。
 いつの間にやらクラーリィの纏う気配は違っていた。向けられる感情も、視線も、気付かぬ内に変貌していた。見下ろすだけだったそれは見下すそれになっていた。握り締められていた拳は解かれ、だらりと重力に従っていた。
 やがて「かわいそうに」という言葉がシコードに贈られた。
「なに……」
「俺は人間だから、おまえの一挙一動に心を奪われる。おまえの些細な一言に喜んだり落ち込んだりする。そして、おまえや多くの人と関わって、俺を変える。成長させる、ともいう。おまえにそれが認められないのなら、おまえが恋した『クラーリィ』というのは、魂を持たぬ人形のことだろう」
 先程の必死そうな姿はもはやどこにも残っていやしなかった。今シコードの目の前にいるのは、かつての恋人を憐れむ一人の人間がいるだけだった。かわいそうにとクラーリィは繰り返す。
 浮かべられた笑みには悪意が混じっていた。
「おまえはきっと一生人を愛せない。誰も幸せにできない。おまえは幸せになれない。かわいそうなシコード」
 軽快な口ぶりのうちにはどこか呪詛めいたものが秘められていた。紡がれた言葉は細い糸に形を変え、どこからか入り込んでシコードを縛り上げた。心臓が悲鳴を上げている。なのに一歩も動けない。視線を外すことすら適わない。嫌な汗が背筋を伝う。逃げろと鼓動が警鐘を告げている。
 糸はやがて刃物になった。
「シコード。一つ聞かせてくれ。俺がたとえばこの場で自害したとして、水晶漬けでも、血を抜いて腐敗しないよう処理したとでもしよう、なんでもいい、俺が物言わぬ人形のようになったとしたら。もう二度と、永遠に変化しない『物』に成り果てたのなら。俺を愛してくれるのか」
 シコードは何も言わずに黙っていた。答えうるものはなにもなかった。たとえ数十分黙って考え続けても、永遠に答えが得られないことだけを知っていた。
「シコード、もう一つ。俺が魂を引き抜いたとしよう。その瞬間俺は死ぬ。魂は身体に永遠に戻らぬものと考えてくれ。そして身体ももう何者の魂をも受け入れることはない。さておまえは、残された俺の身体と魂と、そのどちらを愛してくれるんだ」
 クラーリィは確実に、シコードが答えられないことを知っている。彼は相変わらず笑っていた。微笑に近かったそれは、段々と大げさなものへと移行する。
 そのうち彼は腹を抱えて笑い出した。
「我が呪いよ天に届け! ハハハ、アハハハハハ! これは傑作だ。今ほどおまえを愛おしいと思ったことはない、シコード! 憐れなやつ。本当に憐れなやつ。なんだその顔、一人前に傷付いた振りをして、俺が何を言わんとしているかさっぱり分かっていない癖に」
 けらけらとクラーリィは笑っていた。悪意があった。呪詛があった。怒りがあって、憐れみがあった。そして、僅かながらの彼の愛情の片鱗が見えた。煉獄の炎を宿す瞳の奥底を潤ませていたものは確かに優しさだった。
 シコードは胸に一つ大きな穴を開けた。開けられた、が正しい。傷よりも穴だ。傷はいつか塞がる。穴は埋めない限り塞がらない。埋めるものを何一つ持たないシコードに開いた穴は永遠に塞がらない。与えられたものを吸い込んでは虚ろな闇を吐き出すばかりとなるだろう。

 クラーリィ、と呼び掛けた。久しぶりに口にしたその名はシコードに開いた穴を広げた。声は掠れた。
「……ん?」
 笑うのを止めた彼は、小首を傾げてシコードの続きを待つ素振りを見せた。表情からは悪意が消え失せ、声色には優しさのみが残った。これ以上シコードが何も言えないのを知っていながらじっと台詞を待つ振りをする。訪れる沈黙が刻一刻とシコードを傷付けることを知っているから、ただ黙ってその沈黙を甘受する。
 何度かなにかを伝えようとした。喉は震えなかった。吐き出されるものは息ばかりで、声にはならなかった。浮かぶ言葉もなかった。先程と立ち位置が逆転した。けれどどうか信じて欲しい、あの時のシコードに悪意なんてものはなかった。
「……」
「助けてくれ、という顔をしている」
 クラーリィがゆっくりとこちらへ近寄ってきた。シコードはクラーリィの動作を見守る。伸びてくる腕を視界の隅に捉えた。シコードは逃げなかった。逃げるどころか、動く、という概念がどこかへ消えてしまっていた。
 少し冷たい手が頬に触れる。いつか触れることをおそれた傷だらけの指は、やはり少しざらついていた。何度か輪郭をなぞるように動いて、やがて爪を立てられた。ほんの少し顔をしかめたくらいで、シコードはそれ以上の反応は返さなかった。痛いとはあまり思わなかった。
「なぁシコード。やっぱりさっきの撤回するよ。俺おまえと別れない。おまえも異論はないだろ」
 俺のこと好きなんだろう、とクラーリィは言う。偽の優しさに満ちあふれたあの声で。好きじゃないと先刻断言したばかりなのに、それを忘れでもしたのかクラーリィはそうだと言い切る。
 ――少し認識が誤っている。クラーリィは、シコードがもはや離れられなくなってしまったことを承知の上で、それを好きだと言い換えているに過ぎない。クラーリィの持つ、柔らかな残酷の表れ。
「おまえのその顔、俺は好きだな。おまえ、きっと一生、俺のさっきの言葉に振り回されて苦しむんだ。それを横からじっと眺めさせてくれ。どうせおまえは誰も愛さない。だから誰からも愛されない。……だけど俺だけはおまえの側にいると約束しよう。おまえの虚に巣くう蛇になろう」
 爪を立てた場所を微かに撫でると、クラーリィはそのまま腕を回してきた。シコードは動かない。それこそ蛇に睨まれたかのように、息をするのが精一杯だった。こうべを優しく抱き留められる。やがて彼が手持ち無沙汰に髪を梳き始めても、シコードはじっと動かなかった。
 温もりは感じなかった。少しだけ湿気た感じがするくらいで、暖かいとは思わなかった。むしろ冷たい、と思った。今になって爪を立てられた頬がじんじんと痛み出した。やがて痛みは激しくなって、そのうち涙を連れてきた。嗚咽を上げることはなく、ただぽろぽろと涙だけを零す。痛い、と思ったけれど終ぞそれを口に出すことはなかった。
 悲しい、とは違うと思った。悲しみとはこんなに無味なものではなかったはずだ。
「……泣くなよ」
 クラーリィの表情は見えなかったが、それでも彼が微笑んでいるのがシコードには分かった。クラーリィはこれで満足なのか、シコードにはよく分からない。元々彼の気持ちなんてよく分からなかった。――そういえば、とシコードは思う。己は一度もクラーリィの口から己のどこを愛しく思っているのか聞いたことがなかった。告白されたときも、付き合っているときも、好きだの愛しているだのだけで、その詳細を聞いたことはなかった。今はそんな機会がこのまま永遠に訪れないことを祈るだけだ。なぜ私のことが好きになったのかという問いに対するクラーリィの返答は、きっとシコードを孤独の闇へと突き落とす。巣くう蛇は喉を食い千切るだろう。心臓を食い散らかしていつか去っていくだろう。
 己の名を呼ぶクラーリィの声は、どこか甘ったるい。虚の中は居心地がいいに違いない。そして残念なことに、シコードはその虚を、穴を埋める術を知らない。巣くう蛇は居着いても穴を埋めてはくれない。
 側にいると囁かれた言葉は鎖になった。けれど、それでも良いかと思った。己にはお似合いだろう、構わないとも思った。少しだけ身動ぐ。クラーリィは抱き留めていた腕を弛めた。シコードは少しだけ顔を離して、ゆっくりと上を向く。
 見上げたクラーリィは、予想通り嬉しそうな顔をして微笑んでいた。


 ***END



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