同居



 ***


 クラーリィが部屋に転がり込んできた。

 なんでも宿舎のクラーリィの部屋を実験で燃やしてしまったらしい。現状復帰に時間が掛かり、その間いるところがないから、とクラーリィはサックスの部屋に転がり込んできた。
 大神官さまって便利だ。クラーリィは、例えばサックスがやらかしたら反省文だのお叱りだの然るべき処置を受けるところ、始末書一つ書いて自分の判子をぽんっと押して、迷惑を被った近隣の住民(だいたい幼馴染みたちだ)に「悪かった」と謝っただけ。それだけだ!
 因みに、未だに宿舎に住んでいるにはそれなりのわけがある。一つは並んで宿舎に入っている俺たち幼馴染み連中がみんなかの戦争で住むところを失ってからずっとここで暮らしてきた半ば家族のようなものであり、収入が増えたからといって離れたりするとその家族構成がバラバラになるような気がするからだ。クラーリィに至っては、律儀に保有し続けている旧ネッド邸があった土地に立派な家を建てて執事やらメイドやらを雇えるだけの収入があるはずだがそれをしない。クラーリィがそれをしないからみんなも離れない。あとは……郊外に引っ越すと通勤が面倒になるから。そんなところだろうか。
 しかしサックスは困っていた。問題発生だ。
 言い換えよう、サックスの恋人が、何の前触れもなく唐突に、サックスの部屋へ転がり込んできた。
 今も我が物顔でソファでくつろいでいる。こいつは俺の存在を忘れているんじゃないだろうか? 自分の部屋と思ってないか? 確かに間取りは一緒だし、ひと月前からは特に行き来も激しくなっていて、お互いの部屋の棚に何が入っているのかだいたい知っている。
 確かにお泊まりする日もあったけど、毎晩じゃなかった。サックスだって立派な男なわけで、眠れぬ夜がないわけでもない。発情期が同時にくるわけでもなし。
 おまえは俺の気持ちを少しでも考えたらどうなんだ! という悲鳴にも似た叫びはサックスののど元から先へ出ていくことはなかった。
 クラーリィは俺と違ってもやもやっとしたりしないんだろうか、なんて考えたりしながら。

 ***

 いつ思い返しても笑える話をしよう。

 サックスはひと月ほど前、いつも通りクラーリィに相談を持ちかけた。二人のみならず、幼馴染み連中の間では包み隠さず現状で困ったことがあれば相談する癖がついていて、その一環だった。
 ある意味慣れ親しんだ行為に、サックスの脳みそは空っぽだったといってもいい。
 困った、そうだ、相談しよう。あ、クラーリィを見つけた。じゃあクラーリィで。そんなノリだった。
 相談事がクラーリィ本人に関連することだということも忘れて!
「クラーリィ今いい?」
「別にいいけどなに」
「いやそのちょっと……思春期のお悩み相談室やってよ」
「あーはぁ、そう、ふーん」
 クラーリィは明らかに乗り気じゃなかった。けれど俺の話は聞いてくれようとした。なっ、優しいだろ? こういうところが好きなんだ。
 それはともかくサックスはクラーリィを部屋に連れ込んで、しっかり飲み物も用意して「あの」と切り出した。
「うん、好きな人ができたと」
「あっ先に言わないで、まあそういうことなんだけど」
「どんなの」
 グラスに注がれたコーラをぐびっと一気飲み。サックスは無言でつぐ。
「えーと……そうだな、同僚だ」
「で」
 クラーリィは若干不愉快そうだった。
「年下、上司、昔からの付き合い、ていうか幼馴染み。ここが問題なんだ……しかも男。……長年友達やってていきなり好きになりましたってどうなんだろ。しかも同性だし……その辺の線引きが分からな……」
「上司?」
「えっ、あっ、うん」
「男」
「はい」
「なんだ俺か。新しい告白の仕方だな、サックス」
 サックスは数秒固まっていた。不機嫌だったクラーリィのオーラはいつの間にかどこかへ消えていた。「なんだ〜」なんてクラーリィは暢気に呟いている。
「良かったなサックス」
「へっ、何が」
「俺も好きだぞ。カップル成立。おめでとう。俺もおめでとう」
 クラーリィはご機嫌といった様子でコーラをがぶ飲みしていた。そして未だに固まっているサックスに気がついて、あれ、と小首を傾げる。
「もしかして相談相手が当の本人だって忘れてた」
「ああ、うん……」と、上の空で返事をする。
「そっか。でもあの告白方法はなかなか斬新だったから良かったと思うぞ」
「いや、でも俺、今日そういうつもりじゃ、そういうのはもっと日を改めて、なんかこう、ああーっもう! もう!」
「おまえが悪いだろ」
「分かってるよ!」
「でも結果として成功したろ」
「うん……」
「じゃあ良かったじゃないか」
「……うん」

 こんなわけでクラーリィとサックスは付き合うことになった。

 ***

「なんでよりによってサックスの部屋に居候してるの?」
「居心地良いから」
「へー……」
「勝手知ったるなんとかってやつ」
 幼馴染み連中に捕まって、クラーリィは現状を淡々と報告している。たまたま一緒に居たときに声を掛けられたので、サックスはそれを少し遠巻きに眺めることになった。自分から話すことは何もない。クラーリィは勝手に転がり込んできたのだ。基本サックスの了解なんて取ってない。
 それにしても、椅子にふんぞり返って偉そうだなあ、なんてサックスはぼんやり思っている。
「間取りなんかどの部屋も一緒じゃん」
「と、いうか最近お前らべったりだよな、もう一ヶ月くらい? 挟まれてる俺物音で分かるんだけど深夜に部屋移動するくらいなら泊まってけよ。まぁ今さっぱり音が止んだお陰で犯人はおまえって確定できたわけだけど」
「あ、分かる、一応近隣住民に配慮して喧嘩するときは壁ドンするのやめて欲しいよね、何投げてるんだか知らないけど」
 クラーリィはだいたいその辺の花瓶とか割れるものをわざと投げる。そしてその後魔法で律儀に修復する。本人曰く、割れた方がせいせいするらしい。花瓶は直るがこぼれた水の掃除はもちろんサックスがする。
 花を飾るのはサックスの趣味じゃない。クラーリィがプレゼントで貰ってくるものを捨てるわけにもいかず、仕方なくサックスの部屋に飾っているだけだ。でも、水替えだのなんだの世話は全てサックスがしている。クラーリィがやったことは今のところ一度もない。そう思ったらだんだんイライラしてきてしまった。
「喧嘩すんのは許してくれ、人間どうしても殴りたくなる時ってあるだろ」
 俺も、とサックスは心の中で同意する。今はとにかく深呼吸だ。サックスはここで喧嘩するほどバカじゃない。
「だったらサックス以外の部屋に居候するか、空き部屋借りれば良かったじゃない」
 そう指摘したのは幼馴染みのうちの一人だ。的を射ている。確かに。
 しかし、クラーリィはあっさりと理由を述べた。述べてしまった。
「でもさ、折角の恋人の部屋に転がり込むチャンスを無下にするのは俺どうかと思うぜ」
「……は?」と数人が言い、残りは変な顔ををしてサックスの方を見てきた。やめてくれ、悪いのは俺じゃない……
「なに?」
「なにって何が?」
「恋人? 誰が?」
「俺とサックス。つきあい始めました」サックスは頭の隅っこで、こういうのを「さらっと爆弾発言」というのだろうな、と思っていた。
「嘘、冗談でしょ」
「一ヶ月から。で、さっきの話にも納得がいくだろ、往来が激しくなったとかなんとかかんとか」
 な、とクラーリィは当然のように帰結させようとする。しかし聞き手の幼馴染み連中がこれで黙るわけがない。
「ちょっとサックスあんたさっきから黙ってないでいつもみたいにべらべら喋りなさいよ」
「この状況で喋れると思うのか……?」
 ようやく絞り出した声は若干震えていた。今の気持ちを一言で言い表すことのできる言葉があるのなら教えて欲しい。怒りやら羞恥やらでサックスの頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「逆に聞くけどいつまでも隠し通せるとでも思ってたのか」
「とりあえず一ヶ月はバレなかったじゃん!」とサックスが悲鳴を上げる。しかし聞いているクラーリィはご不満そうな顔をしている。こいつ隠す気なんて毛頭なかったんだ。聞かれたから答えただけで、その程度のこととしか思っていなかったんだ。
「クラーリィ君あとで真剣なお話があります」
「おっといきなり破局の危機〜?」
「茶化さないでくれる、そこ。殴るよ」
 サックスは本物の殺気をお見舞いし、別の幼馴染みが「おいサックス本気だぞ」と呟いたことで事なきを得た。

 部屋に戻ったサックスは早速クラーリィをカウチに座らせた。自分はその前に仁王立ちである。
「なんで言うの!」
「だっていつかはばれるだろ」
 確かにクラーリィの言うとおり、完全に隠し果せた可能性は低い。この関係が長く続けばその内仲間内にはばれていたし、噂の一つや二つも立っていただろう。それは幼馴染みがしてきた不審な行動報告からも明らかだ。これは少し配慮がなさすぎた。サックスの反省すべき点である。
「でもさ……だからってあんな……さらっと……」
 サックスの悪いところはクラーリィに対して心の折れやすいところで、今回ばかりはクラーリィに口で負けない! と決心しての仁王立ちであったのにも関わらず、あっという間に体制が崩れた。惚れた弱みだ。昔はこうじゃなかった。まだもう少し、心に余裕を持って仁王立ちし続けていられたはずだ。
「深刻に告白した方が末期みたいに見えてやばいだろ」
「末期?」
「本当は叶わぬ恋とお互い分かっているからこその心中寸前とか思われたらたまらねえだろ」
「それはないでしょ、だって俺たちそういう性格してないし」
「深刻に事実を明らかにするような性格でもないけどな」
「う……ぐぬっ……」
 口ではいつもクラーリィに負ける。今回もサックスの敗色が濃厚だ。
 確かに、暗い顔して真剣に「付き合い始めました」なんていう性格はしていない。普段と違うその様子を見せられた幼馴染みは何があったのかと心配するだろう。そしてクラーリィの言うような推測に至っても不思議ではない。むしろ、その推測に至る方が自然な気すらしてくる。
 今回もサックスの負けで決まりだ。
「分かったよ。そういうことにしとくよ」
 ふふん、と得意げにクラーリィが笑った。可愛くない。
 ぼすんと音を立ててクラーリィの隣に無理矢理収まると、クラーリィは平然と「なあ」と声を掛けてきた。もうサックスを口で負かしたことは忘れたようだ。
「今日晩飯どっか食いに行こうぜ。自炊飽きちゃった」
「飽きたっておまえ、作ってんの俺だぞ。舐めてんのか」
「毎日豪華なフルコースを食うと飽きる。そういうもんだ」
「褒めてんの? 遠巻きに貶してんの?」
「毎日自炊させて悪いなって思ってる俺の気持ち察しろよ」
 サックスは少し考えて、一応俺を怒らせたことを反省でもしてるのかな、と推測した。言い方が悪いのはクラーリィが照れ屋さんだからなのだろうか。照れ屋になるにしてももう少し可愛い照れ方をすればいいのにとサックスは真面目に思う。
「俺は同居に至る前おまえがどうやって晩飯調達してたのかが謎だよ……」
「パーカスが夜食みたいの持ってきてくれたからそれ食ってた」
「毎日?」
「んー……だいたい……いつも仕事遅かったし……毎日『夕食は?』って聞かれてたし……今はおまえに食わせて貰ってるって言ってある」
 パーカスはクラーリィの母親に転職していたらしい。サックスは頭を抱えたくなった。
「お前明日パーカスに『いつもご飯ありがとうございます』って言えよな」
「恥ずかしくて言えない」
「言え」
 サックスがここまで命令口調になるのは珍しい。クラーリィは少しだけ目を丸くして、それから小さく「分かった」と呟いた。若干渋々といった様子だったがサックスは気にしない。
「どこ行く」
「サックスオススメ穴場スポットとかないのか」
「お気にの店ならいくつかあるけど……」
 サックスは記憶の中から候補の店舗をいくつかピックアップする。クラーリィを連れて行くわけだから、騒ぎにならないような少し大通りからは外れた店が良い。治安が良くて、店内でクラーリィが目立たないような店だともっと良い。ゆっくり食事に専念したいのなら個室が一番良い。それなら途中で「あ!」なんて言われて「握手してください」だの何だのクラーリィが捕まる心配も薄い。
 不穏分子がいきなり襲ってくる可能性もないわけではないので、なるべく子連れの多い店も回避した方が望ましい……
 脳内で候補を二、三店に絞ったところでクラーリィが「どれか決まったか?」と聞いてきた。
「まあ大体は」
「俺が奢るからさ」
「……なんで」
「うん? お前を今日困らせたから?」
 なんで疑問形なんだ、と思ったが疲労を感じ始めていたサックスは突っ込むのを諦めた。最初に閃いたあそこへ行こう、と決断する。満席なら次の候補のところへ行けばいい。

 支度をし終わって、部屋に鍵を掛けて、宿舎を出て、城下の大通りまで出て少し。隣を歩いていたクラーリィが唐突に手を差し出してきた。
「……なにこの手」
「手ぇ繋ぐ」
「いいけど……ん? 何かたくらんでない?」
 サックスは大人しくクラーリィの手を取った。普段はこういうのを嫌がる、というかしてきた試しがないのに珍しい。サックスも仕掛けたことがない。
「お前、俺への評価が低いよな」
「日頃の行いが悪いからだよ。何? 珍し」
 クラーリィはうんざりしたような顔でサックスを眺めてきた。ほら、可愛くない。すぐにこれだ。
「恋人と手を繋ぐことの何が悪いのか……」
「ひゃっ」
「何」
「こういうの嫌いかと思ってた」
「ご期待に添えんで悪かったな」
「ぜーんぜん」
 少し強く握り返した。意外と可愛いところもあった、なんてサックスは思う。別に可愛いところがなくても好きなのだけども。
「あ、ここ右」
「結構奥だな」
「穴場スポットをリクエストしてきたのはクラーリィ君でしょ」
「そうだった」
 クラーリィは手を離さない。しっかりサックスの手を握って、とことこと大した文句も言わずについてくる。いろいろ不満は募っても、こういう些細なことで許せてしまうサックスはきっと心が広い。でなきゃ単なる惚れた弱みだ。
 惚れた弱みかな、とサックスは思い直す。
 後少しで店に着いてしまう。そうしたらこの手は離さなくちゃいけない。それを少し残念に思って歩調を緩めると、クラーリィは文句一つ言わずにそれに合わせてきた。
 耐えきれずにんまり笑ってしまう。
「なあサックス……」
「ん」
「そんなに嬉しいなら帰り道も繋いでやるし、何なら今晩ずっと握ってやっててもいいぞ……」
「いいの? 俺本気にするよ?」
 ふう、とクラーリィが溜息一つ。
「俺最初から本気だよ」
「よっしゃ」
 約束ね、と言うと「はいはい」と少しばかり呆れた声が返ってきた。サックスはすっかりご機嫌だ。
「お前ちょろい」
「可愛げがあっていいでしょ……あ、ここだ。空いてる。やった」
 するりと手が離れる。途端に失われた熱の名残を逃がすまいと、サックスはまだ感触の残る掌を握り締めた。こういうささやかな幸せに慣れていない今が一番幸せなのかもしれない。慣れたらきっと、もっと欲しくなってしまう。この絶妙な距離感が楽しいのに、それが崩れてしまう。
 クラーリィの部屋なんてまだまだ直らなければいいのに、と思ったけれどサックスは何も言わなかった。


 ***END



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